人類の移動と拡散

Civでは、この人類の拡散は上手く表現されていません。最初から特定の場所にユニットが存在するだけです。またこの移動と拡散は、11)手足とその力学的な出力に関係しています。
Wikiで人類の移動と拡散を調べると、「現生人類の拡散」というページがヒットします。

1)ホモ・サピエンスが誕生し、移動を始めたのはおおよそ30万年前。
アウストラロピテクスがアフリカに登場したのが540万年前ですから、かなり最近の事です。
2)アフリカ単一起源説では、おおよそ7万年から5万年前に東アフリアを発ったホモ・サピエンスが現生人類の祖。
ですから現生人類に限ると、30万年前よりも更に下ります。7万年から5万年前だと、ゲームにも充分採用出来ますよね?(笑)

3)現生人類がアフリカを出てアジア南沿岸経由で近オセアニア地域への移動を始めたのがおおよそ7万年から5万年前。
4)約4万年前までにヨーロッパ中に分散した。
5)イスラエルから19万4千年−17万7千年前のホモ・サピエンスの化石、ギリシアから約21万年前のホモ・サピエンスの化石が見つかっている。
6)いずれもそれ以前に定住していたネアンデルタール人との生存競争に敗れたと考えられている。
ですから、拡散と定住は別物です。この定住については、後に詳述します。

7)最終氷期極大期以降、古北アジア人はベーリング海峡を渡り、約2万年前に人類はアメリカ大陸に到着した。
最終氷期極大期をWikiで調べると、地球の気候史の最終氷期の中でも氷床が最も大きくなった最後(最近)の時期である。氷床は北米、北欧、アジアの大部分を覆う巨大な氷床が見られた。
これらの氷床は地球の気候に大きな影響を与え、旱魃、砂漠化、海面の大幅な低下などを引き起こした。その後、「氷河期のピーク」として知られる期間が続いた。ピーター・クラークらによると、
氷床の成長は3万3000年前から始まった。氷床が最大になったのは、約2万6500年前頃(26,500CP)から、北半球で退氷が始まり海面が急激に上昇した1万9000年前もしくは2万年前の間である、とあります。

8)完新世に入ると、人類は北ユーラシア(1.2万年前)やグリーンランドやカナダの北極圏地域(4千年前)といった極圏にも定住し始めた。
完新世は、最終氷期が終わる約1万年前から現在までを指します。寒い地域に住むには、それなりの技術、文化が必要です。

9)ポリネシアにオーストロネシア人が到達したのは1千年紀のことである。
1千年紀とは、西暦1年から西暦1000年の事です。ですからつい最近です。
10)コンピュータによって260枚のCTスキャン写真をもとに初期の現生人類の共通祖先の頭蓋骨の形状を決定したところ、現生人類の起源が26万年から35万年前に遡る。
ホモ・サピエンスの誕生が30万年前で、その後に現生人類に進化ですから、話は合っています。

11)おおよそ20万年前の初期の現代人類はユーラシア西部から中央部へも拡散したが、ユーラシアでは旧人類との生存競争に敗れた。
12)サブ・サハラ以南のアフリカでは初期の現代人類は旧人類によるアシュール文化の終焉(約13万年前)に寄与するほど繁栄した。
サブサハラとは、サハラ砂漠より南の地域です。北アフリカ以外。文化の終焉に寄与とありますから、現代人類が旧人類を滅ぼしたのでしょうか?

13)特に西アフリカでは1万2千年前まで旧人類と共存していた。
14)現代のコサイン族の祖先は15万年前、一説では26万年前にアフリカ南部に拡散していた。
15)海洋酸素同位体ステージ5期が始まる前の13万年前までには、コサイン族の祖先となるアフリカ南部のハプログループL0(mtDNA)の集団と、
   アフリカ東部からアフリカ中央部にいたマクロ・ハプログループL1−6(mtDNA)の集団(コサイン族以外の現生人類の祖)の2つの集団があった。
mtDNDとはミトコンドリアDNAの事で、ハプログループとは人間の細胞内の「ミトコンドリア」と呼ばれる器官のDNAの多型を用いて分類される遺伝的なグループ、とあります。
またミトコンドリアDNAは母親から伝わり父親からは伝わらない為、母系遺伝と呼ばれます。同DNAを調べる事で、各世代の母親の祖先が分かります。

16)12万5千年から7万5千年前にはハプログループL0の集団は東アフリカへ大規模に移動している。
コサイン族、コサイン人種はカポイドとも呼ばれ、アフリカ最古の人種とも言われています。5人種に分類した場合は、モンゴロイド、コーカソイド、ネグロイド、オーストラロイド、カポイド。
17)ピグミーの祖先となる集団は6万年前までにはアフリカ中央部において拡散していた。
18)西アフリカではアフリカの他の地域に比べて比較的遅い完新世が始まるころまで中期石器時代が続いて旧人類がこのころまで存在。ホモ・サピエンスと混血したことが示唆。
ですから、中期石器時代を迎えたのはホモ・サピエンスだけでは有りません。

19)モホ・サピエンスは17万7千年前までにアフリカから出たとされており、ホモ・サピエンスがレバントを経由してヨーロッパに到達したのは13万年前から11万5千年前である。
レバントをWikiで調べると、東部地中海沿岸地方の歴史的な名称。厳密な定義はないが、広義にはトルコ、シリア、レバノン、パレスチナ、エジプトを含む地域、とあります。
20)イスラエルのミスリヤ洞窟では、約18万5千年前のホモ・サピエンスの顎骨の断片が見つかっている。
21)同じ洞窟の25万−14万年前の地層からはルヴァロワ技法による打製石器が見つかっており、この石器とホモ・サピエンスの顎骨とが関連付けられれば、人類がヨーロッパから出た時期がより早くなるような証拠となる。
22)早期にアフリカを出たホモ・サピエンスは永続的な定住にはつながらず、8万年前までにはホモ・サピエンスの分布は縮小し始めていた。

23)125,000年前には中国に到達していた可能性があるが、そうであれば現代人にゲノムの痕跡はなくこの集団は絶滅したと考えられることとなる。
24)現生人類は少なくとも125,000年前にはアフリカを出て、2つの経路でユーラシア大陸に拡散した。
25)1つは、ナイル渓谷から中東に向かったという経路で、パレスチナには到達。ナザレ付近のカフゼ洞窟では120,000ー100,000年前の人骨が見つかっている。
26)もう1つの経路は海水面が低く現在より幅が狭かったバブ・エル・マンデブ海峡付近の紅海を横断し、アラビア半島を通って、現在のアラブ首長国連邦やインド大陸に至った。
同海峡は紅海の入り口に在ります。氷河期には海面が低下し、海峡が陸続きに成ったりします。先の海洋酸素同位体ステージにより、当時の気温を見積もる事も可能なのです。
またモーセの海割り/伝説は、この時代の記憶なのでしょうか?

27)明白に似通った石器がアラブ首長国連邦のジェベル・ファヤ(125,000年前の石器)やオマーン(106,000年前の石器)から出土しており、
   インドのジュワラプラムで見つかった7万5千年前の石器と合わせてすべてホモ・サピエンスの石器であると推定されている。
28)これらの石器の発見は、100,000年前には現生人類が中国南部に到達していたという学説を裏付けるものとなっている。
29)中国広西チワン族自治区の陸那洞からは人骨のうち歯の部分が見つかり、その右上の第二大臼歯と左下の第二大臼歯が12万6千年前のものであることが示唆。
30)アフリカから中東、インド、中国へと拡散した人類の痕跡が現代人のY染色体やミトコンドリアには残らなかったという分析結果より、早期にアフリカから出たホモ・サピエンスは生存競争に敗れた。
31)ミトコンドリアDNA解析によって、現生人類は少なくとも一回のボトルネック効果を経験しており、遺伝子多様性が急激に失われたことが分かっている。
ボトルネックや遺伝子多様性低下とは、つまりは人口の急激な減少です。ノアの箱舟/伝説とは、この時代の記憶なのでしょうか?
次はこの現生人類のボトルネックについて調査します。

→現生人類のボトルネック

32)アメリカ人類学者ヘンリー・ハーペンディングはおおよそ10万年前に地理的に限られた地域から人類は拡散していったが、地理的ボトルネック効果を経験して約5万年前にアフリカから劇的に人口が増加しはじめ、
   ほかの地域でも人口の急増が起こったと考えている。
33)気候学および地質学的な痕跡からはボトルネック効果の形跡が見られる。
34)およそ7万4千年前にインドネシアのスマトラ島にあるトバ火山が第四期最大級の大噴火を起こしており、(火山灰などによる)寒冷期がその後1千年間続いて地球の人口を減少させた可能性がある。
35)これを生き残ったのはわずか15,000人であったと推定されており、遺伝的浮動や創始者効果が大きくなった可能性がある。
36)しかし、近年の報告では古代のDNA分析においてはアフリカ単一起源説を前提としたときよりも多地域で進化が起こりユーラシア大陸で混血が起こったことを前提としたときの方が
   古代DNA分析の整合性が高くなることを主張したものもある。
37)また、そもそもトバ事変が当時の地球の人口にはほとんど影響を及ぼさなかったと主張する研究者もいる。
このトバ事変は、Wikiでは「トバ・カタストロフ理論」ページで語られています。

→トバ・カタストロフ理論

火山噴火や隕石の衝突による氷河期の到来ならば、人間以外にも全ての生命に影響がある筈です。ですから、これは調べれば分かるでしょう。
また席亭が水棲生活を考慮したのは、「気温よりも温度の低下が少ない水温で、種の絶滅を防ぐ」というシナリオ、アイデアです。生命は海底から噴出する熱水から発生した、という説も有ります。(笑)
人間の体毛が少ないのはこの水棲生活か、あるいは衣服の着用によるものでしょう。

→水棲生活

38)アフリカ人以外に由来する現代人の遺伝子は7万から5万年前にアフリカを出た人類。
39)この頃、東アフリカのハプログループL3(mtDNA)の集団のうち、おそらく1000人以下の小集団はバブ・エル・マンデブ海峡付近の紅海を横断し、アラビア半島に到達した。
40)近年では、レバントを通ってユーラシアに入ったとの説もある。
41)レバントまたはアラビア半島付近にやって来た集団の子孫は5万5千年前までにアジアの南沿岸ルートを経由してインド大陸へと分散していった。
42)また、ある研究では6万5千年〜5万年前に現代人の祖先がアフリカを出て拡散したことを裏付けている。
43)アジア南沿岸を経由した移動および拡散がおよそ7万年前から5万年前であったことが、ハプログループL3からいずれも分岐したMとNとの関連を調べた研究によって明らかに。
この経路は海のシルクロードですよね?

44)西アジアや南アジアへ拡散したホモ・サピエンスはおおよそ6万年前から5万年前にはユーラシアの他の地域には移動しなかった。
45)後期旧石器時代初め頃(5万年前以降)には現生人類はユーラシアの他の部分や近オセアニアへ移動を始めた。
46)この移動と拡散の間に、ホモ・サピエンスはネアンデルタール人やデニソワ人と混血しており、デニソワ人のDNAはアジア本土の人々やネイティブ・アメリカンのDNAに約0.2%含まれている。
先住民族との混血が可能ならば、軋轢や争いは少なくなりそうです。EUの移民政策は、これが元ネタなのでしょうか?(笑)

47)アジア南沿岸経由で拡散した現生人類はさらに東南アジアや近オセアニアを経由して6万5千年から5万年前にオーストラリア大陸へと到達した。
48)ホモ・エレクトスのデニソワ人はロンボク海峡を渡ってフローレス島より西側には到達していたが、オーストラリア大陸には到達していなかった。
ロンボク海峡とはインドネシア中部小スンダ列島のロンボク島とバリ島とを隔てる海峡で、最も狭いところでは幅18kmだそうです。
49)そのため、ホモ・サピエンスは人類として初めてオーストラリアの地を踏んだ。

50)デニソワ人の遺伝子の痕跡はメラネシア人やアボリジニ、ママンワ族等のネグリトの遺伝子で見られ、東南アジアに居たデニソワ人と混血していたことが示唆されている。
51)この頃の海水面は現在よりもはるかに低く、海域東南アジアのうち西方の領域はスンダランドという1つの陸地をなしていた。
52)さらに、サフル大陸(含むオーストラリア)とスンダランドとの間にはワラセアという陸地があり、近オセアニアの先住民らはこの群島伝いにサフルランドへと渡っていった。
53)この時でもウェーバー線付近の海峡は最大90kmの幅で存在していたため、近オセアニアの先住民は船や操船技術を持っていたと考えられている。
渡海には当然船と操船技術が必要です。席亭もこの舟を使用する移動や拡散は徒歩や騎馬のそれに比べると、移動度に優れていると思います。
ですから、造船技術と操船技術については考察が必要です。

→造船と操船

54)西オーストラリア州で見つかったオーストラリア先住民の髪の毛のゲノムを解析した結果、6万2千年から7万5千年前に東アジアに移住した集団の子孫のものであることが明らか。
55)その結果、オーストラリアやニューギニア島にオーストラリア先住民が到達したのは現在のアジア人やネイティブアメリカンの祖先がアジアにやってくる以前の2万5千年から3万8千年前であった。
56)現生人類の近オセアニアへの移動は約5万年前。
57)オーストラリアでは5万年から6万年前の最古の住居の痕跡と、4万年ほど前のオーストラリア最古の人骨と、約6万5千年前の最古の人工物がそれぞれ見つかっている。
58)人類によってオーストラリアの大型動物相が絶滅したのは4万6千年から1万5千年前。

59)現生人類が中央アジアや西アジアから現在のヨーロッパへと移動したのは確実には約4万年前よりも以前で約4万3千年前に遡る可能性がある。
60)この時にユーラシア西部へ拡散した集団はミトコンドリアDNAハプログループRとその派生型の集団。
61)この移動は現生人類が中央アジアからヨーロッパにかけて広がっていたマンモス・ステップに生息していた大型動物の狩猟を行い始めたことによる。
ですから、狩猟=食料の調達な訳です。この狩猟は大型動物を求めて、移動を繰返しそうです。マンモスステップとは、独特な植生群落と野生動物群衆の中でマンモスが生息していた環境だそうです。
このマンモスは約400万年前から1万年前頃まで生息していたそうで、ですから現生人類との接点は充分に有るのです。漫画ギャートルズは、有名ですよね?(笑)

62)43−45,000年前の人骨がイタリアとイギリスで見つかっている。
63)ヨーロッパにはすでにネアンデルタール人がおり、しばらくはヨーロッパや中東において共存していた。
64)ネアンデルタール人との混血は4万7千年前に起こったと考えられている。
65)現生人類がヨーロッパに入る前にはすでにネアンデルタール人と交雑していたといわれる。
ですから、現生人類に対する抵抗も小さかったのでしょう。

66)その後、現生人類はウラル山脈の西側に定住を始めた。トナカイや群れを成して移動する動物を追って移動しながら狩猟していたという。
67)しかし、冬の気温はー20ーー30℃にもなり、厳しい環境に適応しなければならなかった。
68)毛皮を持つ動物の皮を剥いで作った衣服、骨を燃料とした暖炉、肉と骨を蓄えるために永久凍土を掘って作ったいわゆる「氷の貯蔵室」などを発明して、寒さをしのぐ。
69)ロシアの北極圏にあるマモントヴァヤ・クリヤでも4万年前に人類が到達した形跡が見つかっている。
ですからロシア人は、ある種人類のモデルな訳です。また移動と旅行には携行食が必要です。動物の骨髄は保存性に優れている為、携行食としての利用も可能です。骨髄の食用は石器時代からある様です。

70)ヨーロッパに最初に到達した最初のホモ・サピエンスと考えられているクロマニョン人はまず、5万年前にザグロス山脈を越えた。
ザグロス山脈とは、イラン高原の南西の山脈。イランの南西部からイラク、トルコそれぞれの国境線となる。最高峰はザルド山(海抜4548メートル)、とあります。

71)その後、インド洋沿岸地域に定住する者もいれば、中央アジアのステップ地帯まで移動したものもいた。
72)その後、クロマニョン人はヨーロッパに到達した。イタリアのパグリッチ洞窟で見つかった2体のクロマニョン人の遺骨(2万3千年前と2万4千年前のもの)のDNAを調べたところ、
   ハプログループN(mtDNA)に分類されるものである。
73)4万5千年前にヨーロッパへの人類の拡散が始まったと考えられており、それからヨーロッパのほぼ全土に人類が定住するまでに1万5千年から2万年ほどかかったと推定。
74)近年の研究ではネアンデルタール人が少なくとも3万9千年前には絶滅していた。

75)ミトコンドリアDNAハプログループA、B、Gの集団の起源は5万年前に遡る。これらの集団はシベリアや朝鮮、日本に3万5千年前には定住するようになった。
76)中国で発見された4万2千年から3万9千年前の田園洞人は、2017年の論文によればそのDNAが現代のアジア人やネイティブ・アメリカンと関連することが認められている。
77)2013年の論文では、東アジア人の染色体の3p21.31領域(HYAL領域)に、ネアンデルタール人由来の18の遺伝子が含まれていることが明らかになった。
78)ネアンデルタール人由来の遺伝子領域は東アジア人でのみ正の選択が起こっており、他のユーラシア人とは対照的に高い頻度で見られた。
79)このことは東アジア人やネイティブ・アメリカンの祖先となる集団においてネアンデルタール人の遺伝子移入が起こったことを示唆している。
80)また、田園洞人はハプログループBに属していることが判明。
しかしながら別の資料では、現代のアフリカ系以外の人々、つまり欧州系やアジア系の人々では全ゲノムの約2%がネアンデルタール人由来であることが確認されている、とあります。
ですからこの交雑はかなりな規模で行われたものと思われます。(あるいは、交雑種だけがボトルネックを潜り抜けた?)

81)2016年の論文では、アイヌがほかのアジアの農耕民族の分化よりも早期に分化しており、シベリア北東部の人々と新石器時代以前の遺伝的な関連があることが示唆。
82)2013年の研究では、モンゴロイドのいくつかの表現型が約3万5千年前にEDAR遺伝子に起こった単一的な異変と関連している。
EDAR遺伝子は歯、毛髪、汗腺など外胚葉由来器官の発生に関わる、とあります。

83)2万年前に最終氷期極大期に入ると、最終氷期極大期の終わりまでに人類はレフュジア(待避地)となっていた地域に移動せざるを得なくなった。
このレフュジアについてはWikiに説明が有りませんが、以下に詳述されるのでしょう。

84)ヨーロッパ人の大半は退避地となった地域の住民の子孫であると考えられており、ミトコンドリアハプログループH1、H3、V、U5b1の集団はフランコ・カンタブリア地域に、
   ミトコンドリアハプログループU5b3の集団はイタリア半島に、ミトコンドリアハプログループU4、U5aの集団は東ヨーロッパ平原に端を発すると考えられており、
   さらに中近東からヨーロッパへ移動してきたミトコンドリアハプログループJやHの集団はその移動が1万9千年から1万2千年前に遡る可能性がある。
85)北緯71度のシベリアのヤナ川付近にある旧石器時代の遺跡は放射性炭素年代測定によって現在から2万7千年前の氷河期に作られた。
86)この遺跡からは人類が後期更新世の高緯度における厳しい環境に、従来考えられていたよりも早期に適応していたことを示している。
後期更新世とは、地質時代の区分の一つで、12万6000年前から1万1700年前までの期間です。

87)2万3千年前以降の最終氷期極大期より後の最終氷期にユーラシア大陸東端部とアメリカ大陸のアラスカに存在していたベーリング海峡を渡り、
   やがてアメリカ大陸に定住するようになった最初の人類は中央アジアから移動してきたパレオ・インディアンである。
88)また、アメリカ大陸に渡った集団の中には東アジアやシベリアにいたハプログループA(mtDNA)、ハプログループB(mtDNA)、ハプログループG(mtDNA)の集団も含まれていた。
89)パレオ・インディアンがアメリカ大陸に入った具体的な時期や詳しい道筋などの細かな点については現在も研究と議論が続けられている。
90)従来の説は早くにアメリカ大陸に入った人類が移動したのは更新世からの氷河の作用によって海面がかなり下がったときであったという説である。
91)更新世にいた大型動物の群れを追うようにローレンタイド氷床とコルディエラ氷床の間に広がっていた氷河におおわれていない回廊を移動しているうちにアメリカ大陸に入ったという説も存在する。
92)ほかの説には徒歩または舟で太平洋沿岸を南下し、最終的に南アメリカのチリにまで到達したという説もある。
93)太平洋沿岸部に人々が居住していた最終氷期のいかなる考古学的証拠も現在では当時からの最大100メートルの海面上昇により海中に沈んでいる。
いずれにしても個人や家族単位程度の移住では子孫を残せないでしょうから、ある時期大量の人類が同時にアメリカ大陸を目指したものと思われます。
席亭は人類の移動や移住はその能力、可能性の問題などではなく、むしろその人々の意志(動機、理由)にあると思います。つまり、「欲すれば叶う」です。

94)最終氷期極大期が1万2千年前に終わり、完新世に入った。この頃のホモ・サピエンスは世界各地に分布していたが、しばらくは地理的に限られた退避地に留まっていた。
95)9千年前の完新世の気候最温暖期の頃、かつて氷河におおわれていた地域に人類は移動を始めた。
96)ヨーロッパでは9千年前に初期の農民、5千年から4千年ほど前に北西アジアや東ヨーロッパにいた遊牧民がヨーロッパ中に移動した。
席亭も職業や食料調達手段の差によって、このモビリティには差が出ると思います。

97)アフリカではおそらく紀元前5千年紀頃に現在の南スーダンにいたナイロートの祖先がアフリカ東部やアフリカ中央部へ拡散した。
98)6千年前頃に西アフリカまたは中央アフリカにいたバントゥー系民族はサブサハラアフリカのほとんどの地域に拡散していった。
99)こうした人口の移動によって、前近代までの旧世界の世界の主要な語族の言語(ニジェール・コンゴ語族、ナイル・サハラ語族、アフロ・アジア語族、ウラル語族、シナ・チベット語族、
   インド・ヨーロッパ語族)を話す人々の分布が出来上がった。
つまりは言語の分布は拡散の結果だ、という訳です。一般には同一言語を話す人は同一民族と考えますから、つまりは民族とはこの拡散の経路を表している訳です。
100)また、サブサハラアフリカに居住する人々にはユーラシアの人々に由来する遺伝子をもつことが近年明らかに。
101)2016年の報告では、過去7千年以内にアフリカ沿岸部の人口においてユーラシアに由来する遺伝子が流入したことを示している。
102)2018年の報告によれば、現在のサブサハラアフリカの人々には0−50%の割合でユーラシア人の遺伝子を持っており、一般的にアフリカの角やサヘル地域の一部でその割合が高く、
    西アフリカやアフリカ南部(近代以降の移民のぞく)で低い割合となっている。

103)台湾に起源をもつオーストロネシア人は人類史上初めて海を航海して、海域東南アジアやオセアニアなどに拡散していった。
ですからこれが渡海(海洋航海)の初めなのですが、渡海はそれこそ全世界(非同時)多発的であると席亭は思います。

104)アウトリガーやカタマラン、クラブクロウセイルなど当時としては先進的な航海技術を使用していた。
105)まず、彼らは紀元前3,000年から紀元前1,500年ごろに急速に海域東南アジアに定住していった。
106)次に、紀元前2,200年〜紀元前1,000年頃にフィリピンやインドネシア東部からミクロネシアに移動し、定住した。
107)紀元前1,600年から紀元前1,000年にメラネシアに到達したオーストロネシア人の一派はラピタ人となり、独自の文化を築き上げた。ラピタ人はのちにポリネシア人となる。
天空の城ラピュタは、これが元ネタなのでしょう。(笑)

108)その後、紀元前1,200年までに遠オセアニア地域への航海に乗り出し、バヌアツ、ニューカレドニア、フィジーに到達していた。
109)さらに、紀元前900年から紀元前800年頃にはサモアやトンガにまで到達した。
110)ラピタ人はしばらくこれより先には進まなかったが、ミクロネシアや東南アジアに戻ったラピタ人もいた。
111)紀元後700年までにはさらに先の太平洋の島々に航海していく。まず、クック諸島、ソシエテ諸島、マルキーズ諸島に定住するようになり、続いて900年ごろにハワイ、
    1,000年頃にラパ・ヌイ島、1,200年頃にニュージーランドに到達する。
クック、ソシエテ、マルキーズ諸島はトンガの東に在ります。ラパ・ヌイ島はそれらの更に東に在ります。
112)マダガスカルにオーストロネシア人が移住したのは約1,200年前とされており、ミトコンドリアDNAに基づく研究によればマダガスカルの先住民の遺伝子はインドネシアの30人の母親にその起源をたどることができると推定されている。
113)マダガスカル語にはサンスクリット語から借用され、ジャワ語やマレー語による言語上の修正の痕跡があることから、当時海上交通を築いていたシュリーヴィジャヤ王国からの入植者が
    マダガスカルの先住民となったと推定されている。
114)オーストロネシア人の拡散は新石器時代で最も長距離を移動した拡散となり、オーストロネシア人は現在に至るまで太平洋やインド洋の島々の主要な民族となった。
島々とわざわざ限定していますから、大陸やその周辺部では違うのでしょう。

115)カリブ海地域は完新世に入るまで人類未踏の地であった。
116)完新世の初期にはトリニダード島は南アメリカと陸続きであったと考えられており、9千年から8千年前程に人類が到達したとされる。
117)その他の西インド諸島の島々においては、人類の最古の痕跡は3千5百年から3千年前の遺跡となっており、バルバドス島、キューバ島、キュラソー島、セント・マーティン島に当時の遺跡が存在。
118)また、イスパニョーラ島やプエルトリコにもそれより少し後の年代の遺跡が存在。
119)その後、紀元前800年から紀元前200年ごろにサラドイド文化の担い手が現在のベネズエラのオリノコ川下流域からやって来た。
120)彼らは小アンティル諸島を北上していったのではなく、まず大アンティル諸島に移動し、その後小アンティル諸島を南下していった。
121)このように2つの時代に分かれて西インド諸島に入った集団がタイノ族やカリナゴ族の祖先である。
122)西インド諸島の大部分の島は紀元前後までに先住民が到達していたが、ジャマイカには紀元600年以前の人類が居住した痕跡が見つかっておらず、またケイマン諸島に至ってはヨーロッパ人が到達するまで無人であるなど。

123)もっとも初期の北アメリカの北極圏地域の先住民は紀元前2500年ごろには存在した北極圏小道具文化体の担い手であるといわれている。
124)北極圏小道具文化体はグリーンランド北東部にあったインディペンデンスI文化やカナダの北極圏にあった先ドーセット文化などパレオ・エスキモーらの文化群の総称である。
125)イヌイットは1000年頃にアラスカ西部に現れたトゥーレ人の子孫である。トゥーレ人はドーセット文化人の住んでいた地域に分布を広げた。
126)一方、ドーセット文化人は1000年から1500年ごろに消滅したが、研究家らは気候変動に適応できなかったか、あるいは新たに持ち込まれた病原菌に弱かったために消滅したと考えている。
当然の事ながら、現行コロナや南米/欧州人の様に、パンデミックやバイオハザードの危険性はどの時代にも存在するでしょう。
かなり長く成りましたが、次は人類の定住です。

→人類の定住