人類の定住

Civではこの人類の定住は、開拓者による都市の形成という行為で表現されています。さて、人類が定住するには以下の4点が問題と成るでしょう。

(1)自然環境が人類に適している
(2)先住民や、強力な天敵が居ない
(3)先住民が居ても、新規参入者に対して敵対的でない
(4)先住民を圧倒する文明あるいは武力等を有している

(1)は、エクメーネなどで表現されます。Wikiにも、この「エクメーネ」のページは有ります。
1)エクメーネは、「地球の表面のうち人間が居住している地域」を指す地理学の用語である。厳密に定義すれば「地球上で人間が常に居住し、経済活動を営み、また規則的な交通を行っている空間」となる。
2)生活空間、居住空間、居住地域などと訳される。エクメーネは人が定住する恒常的なものと、一時的なものの2種がある。
3)例えば南極大陸はかつてはアネクメーネであったが、現在は一時的エクメーネの一種である。
4)オイクメネー、エクメネー、エクメネという表記もある。
5)対義語として人間が居住していない地域を指すアネクメーネがある。

6)地球の表面のうち、海洋・湖沼などはエクメーネから除外される(少数の海上生活者は存在するが)。
7)エクメーネは地球の陸地面積の約88%を占めるが、アネクメーネとの境界は食糧生産限界とほぼ一致する。
つまりは、食えるか、食えないかが両者を分けるのです。ですからエクメーネは、4)飲水と飲食、排便に関係しています。
またエクメーネは陸地の88%ですから、良く開拓したものです。(笑)
8)人間が住むことは可能だが農業には適さない地域をSub〇(o+ウムラウト)kumeneと呼ぶ。
9)エネクメーネとアネクメーネの境界は、大きく水平限界と高距限界(垂直限界)に分けられる。
10)水平限界はさらに対乾燥限界、対寒冷限界、対湿熱限界に分けられる。
11)1984年現在、恒常的エネクメーネの北限はエルズミア島のアラート、南限はナバリノ島のプエルト・ウィリアムズである。高距限界はインドのチベット近くのバシシである。
アラートはカナダの最北端、グリーンランド近くにあり、プエルト・ウィリアムズは南極半島の北に在るチリの港町です。そしてバシシの標高は、5988mの様です。

次に席亭が調査した先の資料を、(2)、(3)、(4)、(5)結果として定着的できなかった、の4種のフルイに掛けます。
(2)先住民、天敵が居ない
1)最終氷期極大期以降、古北アジア人はベーリング海峡を渡り、約2万年前に人類はアメリカ大陸に到着した。
2)完新世に入ると、人類は北ユーラシア(1.2万年前)やグリーンランドやカナダの北極圏地域(4千年前)といった極圏にも定住し始めた。

3)ポリネシアにオーストロネシア人が到達したのは1千年紀のことである。
4)アジア南沿岸経由で拡散した現生人類はさらに東南アジアや近オセアニアを経由して6万5千年から5万年前にオーストラリア大陸へと到達した。
5)さらに、サフル大陸(含むオーストラリア)とスンダランドとの間にはワラセアという陸地があり、近オセアニアの先住民らはこの群島伝いにサフルランドへと渡っていった。
6)西オーストラリア州で見つかったオーストラリア先住民の髪の毛のゲノムを解析した結果、6万2千年から7万5千年前に東アジアに移住した集団の子孫のものであることが明らか。
7)その結果、オーストラリアやニューギニア島にオーストラリア先住民が到達したのは現在のアジア人やネイティブアメリカンの祖先がアジアにやってくる以前の2万5千年から3万8千年前であった。
8)現生人類の近オセアニアへの移動は約5万年前。
近オセアニアとは、ニューギニア島、ビスマルク諸島、ソロモン諸島(ただし、サンタクルーズ諸島を除く)を含み、場合によってはオーストラリア大陸を含める場合もある、とあります。
9)オーストラリアでは5万年から6万年前の最古の住居の痕跡と、4万年ほど前のオーストラリア最古の人骨と、約6万5千年前の最古の人工物がそれぞれ見つかっている。

10)その後、現生人類はウラル山脈の西側に定住を始めた。トナカイや群れを成して移動する動物を追って移動しながら狩猟していたという。
11)ロシアの北極圏にあるマモントヴァヤ・クリヤでも4万年前に人類が到達した形跡が見つかっている。
12)近年の研究ではネアンデルタール人が少なくとも3万9千年前には絶滅していた。
13)ヨーロッパ人の大半は退避地となった地域の住民の子孫であると考えられており、ミトコンドリアハプログループH1、H3、V、U5b1の集団はフランコ・カンタブリア地域に、
   ミトコンドリアハプログループU5b3の集団はイタリア半島に、ミトコンドリアハプログループU4、U5aの集団は東ヨーロッパ平原に端を発すると考えられており、
   さらに中近東からヨーロッパへ移動してきたミトコンドリアハプログループJやHの集団はその移動が1万9千年から1万2千年前に遡る可能性がある。
14)北緯71度のシベリアのヤナ川付近にある旧石器時代の遺跡は放射性炭素年代測定によって現在から2万7千年前の氷河期に作られた。
15)この遺跡からは人類が後期更新世の高緯度における厳しい環境に、従来考えられていたよりも早期に適応していたことを示している。

16)2万3千年前以降の最終氷期極大期より後の最終氷期にユーラシア大陸東端部とアメリカ大陸のアラスカに存在していたベーリング海峡を渡り、
   やがてアメリカ大陸に定住するようになった最初の人類は中央アジアから移動してきたパレオ・インディアンである。
17)最終氷期極大期が1万2千年前に終わり、完新世に入った。この頃のホモ・サピエンスは世界各地に分布していたが、しばらくは地理的に限られた退避地に留まっていた。

18)まず、彼ら(オーストロネシア人)は紀元前3,000年から紀元前1,500年ごろに急速に海域東南アジアに定住していった。
19)次に、紀元前2,200年〜紀元前1,000年頃にフィリピンやインドネシア東部からミクロネシアに移動し、定住した。
20)紀元前1,600年から紀元前1,000年にメラネシアに到達したオーストロネシア人の一派はラピタ人となり、独自の文化を築き上げた。ラピタ人はのちにポリネシア人となる。
21)その後、紀元前1,200年までに遠オセアニア地域への航海に乗り出し、バヌアツ、ニューカレドニア、フィジーに到達していた。
22)さらに、紀元前900年から紀元前800年頃にはサモアやトンガにまで到達した。
23)紀元後700年までにはさらに先の太平洋の島々に航海していく。まず、クック諸島、ソシエテ諸島、マルキーズ諸島に定住するようになり、続いて900年ごろにハワイ、
    1,000年頃にラパ・ヌイ島、1,200年頃にニュージーランドに到達する。
24)マダガスカルにオーストロネシア人が移住したのは約1,200年前とされており、ミトコンドリアDNAに基づく研究によればマダガスカルの先住民の遺伝子はインドネシアの30人の母親にその起源をたどることができると推定されている。
25)オーストロネシア人の拡散は新石器時代で最も長距離を移動した拡散となり、オーストロネシア人は現在に至るまで太平洋やインド洋の島々の主要な民族となった。

26)カリブ海地域は完新世に入るまで人類未踏の地であった。
27)完新世の初期にはトリニダード島は南アメリカと陸続きであったと考えられており、9千年から8千年前程に人類が到達したとされる。
28)その他の西インド諸島の島々においては、人類の最古の痕跡は3千5百年から3千年前の遺跡となっており、バルバドス島、キューバ島、キュラソー島、セント・マーティン島に当時の遺跡が存在。
29)また、イスパニョーラ島やプエルトリコにもそれより少し後の年代の遺跡が存在。
30)その後、紀元前800年から紀元前200年ごろにサラドイド文化の担い手が現在のベネズエラのオリノコ川下流域からやって来た。
31)彼らは小アンティル諸島を北上していったのではなく、まず大アンティル諸島に移動し、その後小アンティル諸島を南下していった。
32)このように2つの時代に分かれて西インド諸島に入った集団がタイノ族やカリナゴ族の祖先である。
33)西インド諸島の大部分の島は紀元前後までに先住民が到達していたが、ジャマイカには紀元600年以前の人類が居住した痕跡が見つかっておらず、またケイマン諸島に至ってはヨーロッパ人が到達するまで無人であるなど。

34)もっとも初期の北アメリカの北極圏地域の先住民は紀元前2500年ごろには存在した北極圏小道具文化体の担い手であるといわれている。
35)北極圏小道具文化体はグリーンランド北東部にあったインディペンデンスI文化やカナダの北極圏にあった先ドーセット文化などパレオ・エスキモーらの文化群の総称である。
36)イヌイットは1000年頃にアラスカ西部に現れたトゥーレ人の子孫である。トゥーレ人はドーセット文化人の住んでいた地域に分布を広げた。
人類の移動と拡散では、先住民、天敵が居ない場合が多く報告されています。

(3)敵対的でない
1)特に西アフリカでは1万2千年前まで旧人類と共存していた。
2)西アフリカではアフリカの他の地域に比べて比較的遅い完新世が始まるころまで中期石器時代が続いて旧人類がこのころまで存在。ホモ・サピエンスと混血したことが示唆。
3)この移動と拡散の間に、ホモ・サピエンスはネアンデルタール人やデニソワ人と混血しており、デニソワ人のDNAはアジア本土の人々やネイティブ・アメリカンのDNAに約0.2%含まれている。
4)デニソワ人の遺伝子の痕跡はメラネシア人やアボリジニ、ママンワ族等のネグリトの遺伝子で見られ、東南アジアに居たデニソワ人と混血していたことが示唆されている。

5)43−45,000年前の人骨がイタリアとイギリスで見つかっている。
6)ヨーロッパにはすでにネアンデルタール人がおり、しばらくはヨーロッパや中東において共存していた。
7)ネアンデルタール人との混血は4万7千年前に起こったと考えられている。
8)現生人類がヨーロッパに入る前にはすでにネアンデルタール人と交雑していたといわれる。
9)ネアンデルタール人由来の遺伝子領域は東アジア人でのみ正の選択が起こっており、他のユーラシア人とは対照的に高い頻度で見られた。
現生人類はネアンデルタール人とは共存した様です。つい最近迄、ネアンデルタール人が生存していた(ロシア?)という話が、テレビで放映されていました。

(4)圧倒
1)サブ・サハラ以南のアフリカでは初期の現代人類は旧人類によるアシュール文化の終焉(約13万年前)に寄与するほど繁栄した。
アメリカ移民/インディアン程、人類は圧倒する機会は少なそうです。(苦笑)


(5)定着できなかった
1)イスラエルから19万4千年−17万7千年前のホモ・サピエンスの化石、ギリシアから約21万年前のホモ・サピエンスの化石が見つかっている。
2)おおよそ20万年前の初期の現代人類はユーラシア西部から中央部へも拡散したが、ユーラシアでは旧人類との生存競争に敗れた。
3)イスラエルのミスリア洞窟では、約18万5千年前のホモ・サピエンスの顎骨の断片が見つかっている。
4)同じ洞窟の25万−14万年前の地層からはルヴァロワ技法による打製石器が見つかっており、この石器とホモ・サピエンスの顎骨とが関連付けられれば、人類がヨーロッパから出た時期がより早くなるような証拠となる。
5)早期にアフリカを出たホモ・サピエンスは永続的な定住にはつながらず、8万年前までにはホモ・サピエンスの分布は縮小し始めていた。

6)125,000年前には中国に到達していた可能性があるが、そうであれば現代人にゲノムの痕跡はなくこの集団は絶滅したと考えられることとなる。
7)これらの石器の発見は、100,000年前には現生人類が中国南部に到達していたという学説を裏付けるものとなっている。
8)中国広西チワン族自治区の陸那洞からは人骨のうち歯の部分が見つかり、その右上の第二大臼歯と左下の第二大臼歯が12万6千年前のものであることが示唆。
9)アフリカから中東、インド、中国へと拡散した人類の痕跡が現代人のY染色体やミトコンドリアには残らなかったという分析結果より、早期にアフリカから出たホモ・サピエンスは生存競争に敗れた。

10)一方、ドーセット文化人は1000年から1500年ごろに消滅したが、研究家らは気候変動に適応できなかったか、あるいは新たに持ち込まれた病原菌に弱かったために消滅したと考えている。
パンデミックには注意が必要です。このパンデミックやバイオハザードについては、後述します。

以上の事から、エクメーネの考察からは食料の調達が、先住民が居る場合には彼らとの関係が良好(〜例えば混血)である事が条件と成るでしょう。次回は「食料の調達」です。

→食料の調達