内海(地中海)を巡る興亡
Civの地図の中にも、現実世界の地球地図は含まれています。これは勿論2)空間で、興亡の方は12)個人の集積ですね。(笑)
Wikiでこの地中海を調べると、「地中海」ページがヒットします。
1)地中海は、北と東をユーラシア大陸、南をアフリカ大陸(両者で世界島)に囲まれた地中海盆地に位置する海である。
地中海盆地は、初めて知りました。
2)面積は約250万平方キロメートル、平均水深は約1500メートル。海洋学上の地中海の一つ。
水深は意外と深いのですね。
3)地中海には独立した呼称を持ついくつかの海域が含まれる(エーゲ海、アドリア海など)。
4)地中海と接続する他の海としては、ジブラルタル海峡の西側に大西洋が、ダーダネルス海峡を経た東北にマルマラ海と黒海があり、南東はスエズ運河で紅海と結ばれている。(「海域」「地理」で詳述)。
マルマラ海は席亭も初めて知りました。イスタンブールの南、アテネの東に在ります。
5)北岸の南ヨーロッパ、東岸の中近東、南岸の北アフリカは古代から往来が盛んで、「地中海世界」と総称されることもある。
6)名称:
7)地中海を指すMediterraneanという語は、「大地の真ん中」を意味するラテン語のmediterraneusメディテッラーネウス(medius「真ん中」+terra「土、大地」)に由来する。
8)またギリシア語では、これと全く同じ造語法でもって、mesogeios(〇)と呼んでいた。
〇はギリシア語です。以下メモ帳で表示できない語句は、〇で表現しています。
9)歴史的には、他にも各国語で様々に呼ばれてきたことが古文書などを通じて明らかになっている。たとえば古代ローマ時代のラテン語ではmare nostrumと呼ばれたが、これは「我らが海」という意味であった。
10)聖書には「偉大なる海」あるいは「西の海」として登場している。
11)近代のヘブライ語では、"ha‐Yam ha-Tichon"(〇、"the middle sea")と呼ばれ、その語義はドイツ語Mittelmeerと変わるところがない。
12)トルコ語ではAkdenizと言い、これは「黒海」Karadenizに対する「白海」という意味である。
13)アラビア語では〇(〇)と呼んで、「中央の白い海」という意味合いになっている。
14)近年の英語では、"The Med" という短縮語が、地中海とそれを取り巻く周辺地域を日常の会話で語る場合の共通の語として用いられている。
15)地理:
16)正確には、西をジブラルタル海峡で大西洋と接し、東はダーダネルス海峡とボスポラス海峡を挟んでマルマラ海と黒海につながる海をいう。マルマラ海を地中海に含めることもあるが、黒海を含めることはしない。
17)19世紀に掘削されたスエズ運河の開通以降は紅海を経由してインド洋につながる。
18)内海であるため、比較的波が穏やかである。また沿岸は複雑な海岸線に富んでいるため良港に恵まれ、3つの大陸(ヨーロッパ、アジア、アフリカ)を往来することができる。
19)こうした条件から、地中海は古代から海上貿易が盛んで、古代ギリシア文明、ローマ帝国などの揺籃となった。
発生した文明を大きく育てました。
20)21世紀初頭の現在も世界の海上交通の要衝の一つである。
現在も諸問題が山積する、ホットで危険な地域です。
21)地中海の沿岸は夏に乾燥、冬に湿潤となり、地中海性気候と呼ばれる。この気候のため、オリーブ等の樹木性作物の栽培が盛んであるほか、夏のまばゆい太陽や冬季の温和な気候を求めて太陽に恵まれない地域から多くの観光客が訪れる。
22)下記のように巨大なプレートの衝突によって形成された海であるため、火山が点在し、ヴェスヴィオ山やエトナ山、サントリーニ島など現代に至るまで活発に活動を続ける火山も多い。地震も頻発する。
ラテン的であり、また日本に似ています。
23)形成:
24)約2億年前ないし約1億8000万年前、パンゲア大陸が南のゴンドワナ大陸と北のローラシア大陸へと分裂し始め, テチス海が誕生した。
25)テチス海は現在の地中海の原型にあたり、古地中海とも呼ばれる。テチス海は、地殻変動が繰り返され現在のユーラシア大陸やアフリカ大陸が形成されていく中で、カスピ海や黒海を切り離す形で縮小してきた。
席亭も、カスピ海や黒海が地中海の一部であった事は知りませんでした。
26)中新世末期のメッシーナ期(7.246±0.005百万年前−5.332±0.005百万年前)には一時的に大西洋との間で断絶が起き、596万年前から533万年前にかけてメッシニアン塩分危機が起こり、
テチス海は塩湖化しながら縮小もしくは完全に干上がった時期が確認されている。
27)533万年前、再び大西洋とジブラルタル海峡で繋がると、200年以上かけて海水が流れ込むザンクリアン洪水によって、地中海が形成された。塩湖からの影響で地中海は現在も大西洋より塩分濃度が高くなっている。
このジブラルタル海峡の自然開削にはドラマが有ります。(笑)
28)人類史:
29)地中海沿岸は古くより多くの民族が栄えてきた。最初に文明が栄えたのは東地中海で、古代エジプト文明をはじめ、アナトリアのヒッタイトやクレタ島のミノア文明、古代ギリシアのミケーネ文明などが盛んに交易を行っていた。
ミノア文明では、ミーノータウロス(ミノタウロス)/牛の化物が有名です。
30)中でもミノア文明は地中海のただなかにあり、沿岸の各文明と盛んに交易していた。しかし、紀元前1200年頃、前1200年のカタストロフと呼ばれる大変動がこの地域を襲い、海の民と呼ばれる人々の襲撃によってヒッタイト、ミノア、
ミケーネは崩壊。エジプトも大きく力を落とした。
31)やがて、紀元前12世紀頃から、地中海東端、現在のレバノン付近に居住していたフェニキア人が地中海交易を開始する。
32)ついで古代ギリシア諸都市も沿岸交易を開始し、地中海沿岸にはフェニキアとギリシアの多くの植民都市が建設されていった。
イスタンブール(ビザンチウム)、ナポリ(ネアポリス)、マルセイユ(マッサリア)、パレルモ、メッシーナ、シラクサなど、この植民都市に起源を持つ都市は現在でも多く残っている。
33)この時期から、地中海においてはガレー船が多用されるようになった。地中海では風向きが安定しないため純帆船の使用は遅れ、17世紀に技術進歩によって帆船にとってかわられるまではガレー船が地中海の船舶の主流となっていた。
席亭はガレー船などというと、奴隷貿易を思い出します。また「風向きが安定しない」は、そうだと思いました。
34)紀元前8世紀にフェニキアが政治的独立を失ったものの、植民都市の一つカルタゴが強大化し、地中海西部に覇を唱えるようになった。
35)一方、地中海中央部では共和政ローマが強大化し、3度にわたるポエニ戦争によってカルタゴを滅亡させた。ローマはさらにギリシア諸都市や沿岸諸国を次々と占領していき、最終的に紀元前30年にプトレマイオス朝エジプトを併合して、
地中海はローマ帝国の内海となり、「我らが海」(Mare Nostrum)と呼ばれるようになった。
36)ローマの外港であるオスティアは拡大整備され、地中海沿岸各地に広がる属州から、ローマを支える大量の穀物や各種商品が運び込まれた。地中海全域が統一政府の下に置かれたことで海運は活発化し、地中海全域が一つの経済圏となった。
以下は省略します。皆様はエジプトやギリシア、ローマは御存じでしょうから、フェニキアとカルタゴを簡単にご紹介します。
→フェニキア
→カルタゴ
37)主要な島
38)東部:キプロス、ロドス島、クレタ、ドデカネス諸島
ロードス島戦記は有名です。
39)中部:シチリア、マルタ、サルデーニャ、コルシカ
40)西部:バレアレス諸島
41)海域:国際水路機関は、地中海の下位にあたる海域として以下の8つを定義している。
ジブラルタル海峡、アルボラン海、バレアレス海(イベリア海)、リグリア海、ティレニア海、イオニア海、アドリア海、エーゲ海(多島海)
これらの海は、某ソフトの海図に登場していました。Wikiにはこの「地中海」ページ以外にも、「地中海世界」ページが有ります。同ページも簡単にご紹介します。
1)地中海世界は、西ヨーロッパと南ヨーロッパ、北アフリカ、西アジアの間に挟まれた地中海沿岸の領域を指す。地理的な領域であるが、この領域は太古より様々な文化や民族の相互交流が絶えず、
とりわけ古代から中世初期にかけては一つの独自な文化圏を形成していた。
2)地中海世界は、北アフリカと、パレスチナ沿岸より小アジア、そしてギリシアと今日の西欧から成り立つ。大きく分ければ、1)北アフリカ、2)パレスチナ・小アジア、3)西欧という3つの領域になる。
これらの3つの領域には、太古より文化が存在し、様々な民族が居住し、陸路と海路を伝って互いに文化交流が存在したことが知られる。
3)先史古代:
4)紀元前6千年紀から5千年紀には、北アフリカには農業生産を主体とする定住文化集落や都市の原型が確認されており、これらを継承して紀元前3千年紀となってエジプト統一帝国(古王国)が成立したとも考えられる。
小アジアには、北アフリカと同じぐらいに古い定住文化集落が存在しており、紀元前2千年紀頃にはヒッタイト帝国が成立するが、それ以前にも多数の都市国家が存在した。
5)西欧領域では、紀元前3千年紀頃より印欧語族の進出が著しくなったが、考古学的資料等からは、印欧語族以前にこの領域には先住民族の文化が存在したことが知られている。そのため、例えばギリシアでは、ギリシア人は紀元前2千年紀頃より
数度にわたり波状に南下して行ったが、すでに先住民族とその文化が存在しており、この古い文化は古代ギリシア文化のなかに取り込まれた。
6)しかし、紀元前2千年紀となると地中海世界では陸路を通じてではなく、むしろ海路を通じての文化的政治的な相互作用が活発となり、エジプトはクレータのミノア文明と交流を行っており、
また、古代ギリシア人は地中海世界のヴァイキングのような形で、各地に遠征し略奪戦争を行った。その一つはホメーロスがうたった「トロイア戦争」であると考えられる。
ただし、トロイアは東西の交流の要衝にあったため、考古学的に、幾度も戦役に見舞われ、都市は破壊され、再度構築されてきたことが確認されている。
7)古代:
8)海の民の活躍などを含め、紀元前2千年紀半ば以降になると、アフリカにはエジプト新王国が威勢を持ち、小アジアにはヒッタイト帝国が覇権を唱えた。
鉄の発明で有名なヒッタイトですが、ここで簡単にご紹介しておきます。
→ヒッタイト
9)またギリシアでは、古代ギリシア人は植民地を小アジアおよびイタリア半島南部に拡散させ、パレスティナ沿岸部では、中小地方国家群が成立して覇権を争った。
10)またフェニキア人は北アフリカからイベリア半島まで植民地を築き、地中海交易で大きな勢力を築いた。
11)エジプトおよびヒッタイトは紀元前1千年紀になると衰退し、ギリシア人およびフェニキア人が海路を通じての交易で勢力をさらに伸張させた。
12)その他方、紀元前1千年紀半ば頃にはローマ人の勢力が徐々に拡大して行った。
13)また、この時代においては、イランに起こったアケメネス朝ペルシア帝国の威勢がメソポタミアを征服して地中海沿岸まで進出し、古代ギリシアのポリス連合群はアケメネス朝の進出を阻止しようとして、ここにペルシア戦争が生じ、
アケメネス朝は敗退して後退した。
14)ペルシア戦争の勝利の後のギリシアはしかし、覇権をめぐってポリスのあいだで争いが生じ、アテナイ、スパルタ、コリントスと有力ポリスにより覇権が推移して行った。
15)ギリシアにおいて内部紛争が進行しているあいだに、共和政ローマは勢力を拡大し、イタリア半島を支配下に置くとともに、さらに周辺領域へと勢力を展開して行った。
16)この過程で、第一次、第二次のポエニ戦争が起こるが、ローマはこれに勝利し、カルタゴなどのフェニキア人植民地を傘下に収め、北アフリカのマグレブ領域からイベリア半島に及ぶ領域に勢力を拡大して行った。
17)ヘレニズム時代:
18)紀元前4世紀後半、覇権争いを続けるギリシア・ポリス群の辺境にあったマケドニアは軍事力を拡大し、フィリッポス2世とその子アレクサンドロス3世によって、ギリシアは征服され統一される。
19)マケドニア王国はさらに勢力を拡大し、アレクサンドロスは東方のパレスチナ沿岸を征服し、末期王朝のエジプトを服属させて領土に加えた。
20)彼はさらにメソポタミア・イランに広大な帝国を築いていたアケメネス朝ペルシア帝国をイッソスの戦い・ガウガメラの戦いで破り、地中海世界東部からインドの領域近くにまでわたる広大な世界に帝国を構築した。
21)アレクサンドロス帝国は、地中海東部からオリエント・イラン・インド西端に渡る空前の大帝国であったが、大王アレクサンドロス3世の逝去とともに帝国は分裂し、後継者(ディオドコス)たちが互いに権力掌握を目指して争った。
22)かくして帝国は最終的には、プトレマイオス朝エジプト王国、セレウコス朝シリア王国、アンティゴノス朝マケドニア王国に分裂した。セレウコス朝はアケメネス朝ペルシア帝国のほぼ西半分以上の領域を支配し、ペルシア帝国の後継者の地位を占めた。
23)アレクサンドロスの征服と東西を横断した帝国の建設により、インドやイランの文化が地中海世界に流入するとともに、地中海世界の文化がオリエントやイランに流入して、両者は互いにシンクレティズムを構成し、新しい混淆文化を創り出した。
これをヘレニズム文化と称し、東西の広大な領域に影響を及ぼした。
最初の東西交流は、アレクサンドロス(アレキサンダー大王)の手によって行われました。地中海世界だけでは有りませんが、このマケドニアについても簡単にご紹介します。
→マケドニア
24)ヘレニズムの文化:
25)ギリシア文化、エジプト文化、パレスチナの文化、小アジアの文化、オリエント文化、イラン文化、インド文化などが交流し、宗教思想においてもシンクレティズムが生まれ、ここからミトラス教、グノーシス主義、キリスト教、イシス信仰、
エレウシス秘儀、大乗仏教、ゾロアスター教、マニ教などの新興宗教や大宗教が勃興し、既存宗教も大きな変革を迎えた。さらに思想的にはギリシア神話を含む諸地域の神話やその神々、哲学としてはカルネアデスを代表とするの
懐疑主義的傾向を強めた中期アカデメイア派やストア派、エピクロス派、ネオプラトニズム、ヘルメス思想などが広範に広がった。
26)共和制ローマ:
27)アレクサンドロス帝国の勃興と並列して、共和政ローマは地中海世界西部に大きな勢力を広げて行き、やがて、地中海東部世界にもその勢力を伸張させて行く。ギリシアの植民地を支配するとともに、ギリシア本土にも勢力を拡大し、
紀元前2世紀から1世紀にかけてはプトレマイオス朝を実質的に支配下に収め、パレスチナ沿岸でも覇権を掌握した。紀元前1世紀には、共和政ローマは、地中海世界のほぼ全域をその支配下に収めていた。
長い地中海の争いは、ローマによって終止符が打たれました。
28)しかし他方で、ローマ内部でも社会不安の増大がみられ、グラックス兄弟の改革以降それは時に武力行使も伴いながら政治闘争へと発展していった。「内乱の一世紀」と呼ばれるこの時代においては、闘争はマリウスやスッラ、キンナによる
独裁的な支配をも生んだ。この争いは、二度にわたる三頭政治、すなわち、第1回はポンペイウス、カエサル、クラッスス、第2回は、アントニウス、オクタウィアヌス、レピドゥスによる寡頭政治の形を経て一人支配の確立へと連なっていった。
29)クラッススはパルティアとの戦いで戦死し、ポンペイウスはカエサルに敗北したため、カエサルは広大なローマの支配領域に一人支配を打ち立てた。
カエサルは終身独裁官に就任し、独裁的な権力を誇ったがブルートゥスら共和派によって暗殺された。
30)カエサルの後継者は側近であったマルクス・アントニウスとカエサルの養子であるオクタウィアヌスで争われたが、エジプトのクレオパトラ7世と同盟したアントニウスをアクティオンの海戦でオクタウィアヌスが破り、
オクタウィアヌスはローマにて全権を掌握しアウグストゥスの尊称を得た。
31)彼は、インペラトルの個人名としての使用とカエサルの家族名は養父から受け継いだものの、あくまで共和政の伝統の継承者を装いつづけた。コンスル命令権、上級プロコンスル命令権、護民官職権の3つの権限を中核とした
プリンケプス(元首)の地位は養子ティベリウスに受け継がれ、アウグストゥスの治世より帝政ローマの開始とされる。
32)アウグストゥスは内戦の過程で、影響下にありながらも一応の独立を保っていたプトレマイオス朝も女王クレオパトラ7世を破ることでローマに組み込み、地中海世界全域はローマ帝国の支配下に置かれた。
以下は省略します。
33)関連項目:
・地中海連合
・古代エジプト−初期王朝
・古王国−第1中間期−中王国−第2中間期−新王国
・古代ギリシア−エーゲ文明−アテーナイ−スパルタ
・フェニキア−カルタゴ−ポエニ戦争
・アケネメス朝−ペルシア戦争
・ヘレニズム−アレクサンドロス3世
・共和制ローマ−ローマ帝国−アウグストゥス−五賢帝
・宗教−思想−哲学−ギリシア哲学
・ミトラス教−グノーシス主義−キリスト教−ユダヤ教
・プラトン哲学−ストア派−エピクロス派−ネオプラトニズム−ヘルメス思想
・コンスタンティヌス1世−ミラノ勅令
・東ローマ帝国−西ローマ帝国
・世界の歴史
この関連項目はかなり優秀ですが、席亭が納得出来ない部分も有ります。(笑)
車輪/道路はローマの所で述べるとして、エジプト→ギリシアで欠かせないのは、やはり神話と哲学でしょう。(笑)という訳で、次は神話です。
→神話