農耕社会

Civではゲーム開始時から、「農業」テクノロジーは保有しています。つまりは他のテクノロジーがこの「農業」テクノロジーから派生する訳です。ですがその他諸々のテクノロジーも、併存していますよね?(笑)
農業は食料の取得が目的なので、4)飲水と飲食、排便に関係する技術です。Wikiで農耕社会を調べると、「農耕社会」ページがヒットします。

1)農耕社会とは、その経済が農耕によって成り立っている社会の事である。
2)別の定義としては国内総生産に農業が占める割合をみることで判断できる。
3)農耕社会では、土地の耕作が富の第一の源である。生活や仕事における他の手段も存在するが、農業の重要性は際立っている。
4)農耕社会は新石器時代における新石器革命(農耕革命)によって始まったとされ、以来およそ10000年間、今日に至るまで世界の様々な部分において存在してきた。
5)記録された人類の歴史の大半で、社会経済組織の最も一般的な形態となっている。異なる農業社会の間には特定の類似点は存在するものの、空間的・時間的に大きな差により、一律同等な農耕文化は存在しない。

6)歴史:→「農耕§農耕の歴史」、および「農業の歴史」を参照
これらの記述も重要なので、以下順次調査する事にします。
7)関連項目:農耕民族、村社会、農本主義、狩猟採集社会、産業社会、脱工業社会、情報化社会
農本主義とは英語ではpeasantism(農民主義)で、第二次世界大戦前の日本において、立国の基礎を農業におくことを主張した思想もしくは運動、とあります。

次に、「新石器革命」ページを調べます。
1)新石器革命とは、新石器時代における人類の農耕や牧畜の開始、これに関連した定住生活の開始という一連の変革のことである。
この呼び名は、席亭は知りませんでした。
2)「農耕や牧畜」と「定住」のどちらが先かについては諸説ある。
3)農耕の開始による観点から農耕革命(あるいは農業革命とも)や定住生活の開始による観点から定住革命、食料生産の安定化による観点から食料生産革命などとも呼称される。

4)人類が農耕を開始した理由については、狩猟・採集に頼った慢性的な飢餓状態から脱するためという説や、気候変動によって狩猟採集生活が不安定となった果てに穀類採取を行うようになったという説、
  これ以前に人口増加がおき狩猟・採集生活における臨界点を突破したため、それまで食料と認定されていなかった穀類採取を行うようになったという説(M.コーエン)など諸説ある。
狩猟採集社会では食料が足りており、労働時間にはゆとりが有ったと先に説明されています。また気候変動と穀類採取には、火が必要です。前述した様にこの火は、かなり以前に入手しています。
人口増加→穀類採取は、席亭は余り考えません。古代にも赤ん坊の間引きは有ったと思うからです。やはり地道な穀類観察→試験栽培、なのでしょう。
定住生活の方が早いとするならば、それは(快適な)洞窟など気候変動と関係が有るのでしょう。

5)農耕を開始した時期についても諸説あるが、新石器革命を提唱したマルクス主義考古学者のヴィア・ゴードン・チャイルドによれば、紀元前1万年から紀元前8000年頃にシュメールで始まり、これとは独立して
  紀元前9500年から紀元前7000年頃にインドやペルーでも始まったとされる。
シュメールとは古代メソポタミア南部に住んでいた人々です。
6)その後、紀元前6000年頃にエジプト、紀元前5000年頃に中国、紀元前2700年頃にメソアメリカでも開始されるに至った。(農耕の開始時期についての詳細は、「先史時代#農耕の開始」および「農耕#農耕の歴史」を参照)。
メソアメリカとは、メキシコと中央アメリカ北西部です。またこれら二つの資料をも調査する事にします。

7)農耕・牧畜の開始により、それまでの狩猟・採集による獲得経済から安定した食料の生産を可能とする生産経済へと移行した(食料生産革命)。
ですが皮肉な事に、単一種栽培では飢饉や飢餓には弱いのですよね?
8)生産性の向上により人口が急増し、更なる生産力の向上に繋がり農耕・牧畜社会は拡大していった。
そしてその結果、戦争も増えました。(笑)
9)一方、定住生活により集団・組織化が起き、やがて定着集落(村落)が形成された。
10)また、一箇所に留まることが可能となったことで余暇も生まれ、時間を掛けて様々な物を制作できるようになり、石器もより手入れを必要とする磨製石器が主流となっていった。
一カ所に定住すると不要物、ゴミも出るため、必然的にリサイクル、SDGs的な生活を送る必要が生じてきます。つまりは自然との分業ですが、都市の汚染が進行すると疫病の発生なども生じるでしょう。
11)余剰生産・労働力により社会にゆとりが生まれ、交易を行う行商や専門技術を担う職人が出てくるようになった。
これは生業、職業の分化です。

12)定住農耕社会は分業を促進させていくと共に階級が生じ、社会構造が複雑化することで文明となり、やがて国家や市場が誕生するに至っている。
分業や階級の誕生には人の数、人口が必要です。この分業や階級、国家や市場に関しては、後に詳述します。

以上から、「農耕§農耕の歴史」、「農業の歴史」、「先史時代#農耕の開始」のページが紹介されています。その中でも最も古い記述のある、「農耕§農耕の歴史」からご紹介します。

1)農耕の起源については諸説ある。ハーバード大学、テルアビブ大学とハイファ大学の共同チームは、イスラエルのガリラヤ湖岸で、23,000年前の農耕の痕跡(オオムギ、ライムギ、エンバク、エンマーコムギ)を発見したと、
  ニューヨーク・タイムズなどで報道されている。
2)約10000年ほど前には、中国の長江流域で稲作を中心とした農耕が始められていたことが最新の発掘調査で確認されている。
3)またレバント(シリア周辺、肥沃な三日月地帯の西半分)では、テル・アブ・フレイラ遺跡(11050BP,紀元前9050年頃)で最古級の農耕の跡(ライムギ)が発見されている。
4)イモ類ではパプアニューギニアにて9000年前の農業用灌漑施設の跡「クックの初期農耕遺跡」がオーストラリアの学術調査により発見されている。
5)それ以前は採集によって野生の穀物や豆類を集めており、たとえばムギ類はアナトリア高原の南、ハブール川流域で野生種が利用されていた。
ハブール川は、ユーフラテス川の大きな支流の一つです。

6)農耕の開始と同時期に牧畜も開始された。
この牧畜に関しては、後述します。
7)これらの始まりの時期より主に磨製石器が作られたことから、この時代は新石器時代と呼ばれている。
8)また、一連の変革により食料の生産が可能となり、生活システム・社会構造を変化させ文明の発達が始まったことから、農耕革命、あるいは新石器革命とも呼ばれる。

9)人類の祖先(ヒト亜科)は他の霊長類と分岐して以降の数百万年もの長い間、採集、狩猟、漁労などによって生計を立ててきたとされる(狩猟採集社会)が、それらとともに新たに農耕や牧畜が始められた理由として
  食糧難が一つの説としてあげられている。農耕が始まった時期は氷河期(最終氷期)の終結に伴う気候の変動が続いた時期(急激な温暖化と、それによって溶解した氷河からの冷水が海水温を下げたことによる
  一時的な寒冷化への揺り戻しが発生した)と重なっており、これによって従来通りの狩猟採集で食料の確保をすることが困難になったこともきっかけとされている。
ですが、農耕の方が採集よりも気温が低くて良い、とはとても思えません。
農耕の前には該当植物の試験栽培がある筈で、自然群生地の面積を増やす工夫をしたり、(沢山実る様に)品種の改良を行ったのでは? 現代人が思い付く様な事は、(一部の勘の良い)当時の人も行った筈です。
10)農耕は大量の水が要り、ついでその管理も必要となってくるため、河川周辺など、定期的に水の供給が得られる場所が農地として選定されることが多い。
確かに、文明の発生地には大河が存在します。ですから次の頁は、河川(大河)の存在や治水と利水、に成るでしょう。

11)農耕や土器の発明により、人類は計画的に食物を生産、そして貯蔵することが可能となった。
この土器や食物の貯蔵に関しても、後に言及します。
12)食料の安定供給は多くの人口を養う事を可能にし、それまで家族・親族単位であった人類の社会形態は大きく拡大し、多くの人々が定住して社会生活を営むようになる。
大人数を統率するには、それなりのルールとリーダーシップが必要に成ります。
13)世界四大文明などの古代都市文明も農耕を基礎におき、大河川流域で大いに発展した。
14)そして政治と経済、ついには国家の誕生へと至る事となる。
15)さらに作物の管理や分配のための計算、気候の変化と農作業の日程を知るための暦法(天文学)、農地管理のための測量などが必要となり、これらが数学の基礎となった。
一連の文明発生プロセスが記述されています。(笑)天文学(〜天体の観察)や農地管理(〜土地の測量)は後述します。

次は「先史時代#農耕の開始」ページをご紹介します。
1)発祥から先史時代前半までの人類は、生存能力に劣り常に滅亡の可能性に晒されていた。
2)火を使い加工する手段を得てはいたが、食糧は多くの植物性およびわずかな動物性食物に頼り、常に飢餓の危険にさらされながら、より住みやすい土地を求めて移動を繰り返していた。
ですから、定住生活では無い訳です。
3)そのため、集団の信仰や習俗には多産を祈念し推奨する要素が多く生じ、またジェンダーの観念も生殖に重きが置かれていた。
4)この停滞状態を脱し、人口が増加に転じた主たる理由は、農耕や牧畜など食糧生産手段の変革があった。

5)先史時代の研究家ヴィア・ゴードン・チャイルドが提示した「新石器革命」(農耕革命)の概念によると、紀元前1万年から紀元前8000年頃にシュメールで農耕が始まり、紀元前9500年から紀元前7000年頃にはインドやペルーでも
  これと独立に行われ始めたという。
6)さらに紀元前6000年頃にはエジプト、紀元前5000年頃には中国、そして紀元前2700年頃にはメソアメリカで農耕は広まった。
7)中東の肥沃な三日月地帯が重視されがちだが、複数の作物や家畜を育成する農耕システムは考古学的分析からアメリカ州や東アジア・東南アジアでもほぼ同時期か若干早く発生していた。
これは席亭も知りませんでした。
8)シュメールでは紀元前5500年頃には組織化された灌漑や専従労働も始まっていた。
専従労働者は奴隷の身分なのでしょうか?

9)それまで集落が依存していた岩石を用いた石器は青銅器や鉄器に取って代わられ、これら新しい道具は農作業のみならず戦争にも使われるようになった。

→農具(農機具)

10)ユーラシア大陸では銅や青銅の道具が発達し、紀元前3000年頃に地中海沿岸東部で発明された製鉄技術は中東を経由して中国まで伝わり、農具や武器へ利用された。
11)アメリカ大陸では金属器の発展は遅く、紀元前900年頃のチャビン文化勃興を待たねばならなかった。モチェ文化では金属は武具やナイフ・器などに用いられ、金属資源に乏しいインカ文明でも、チムー王国に征服された頃までには
   金属片をつけた鋤が実用化されていた。
12)しかしその一方で、ペルーでは考古学的調査の進捗は限定的であり、古来の記録媒体であったキープはスペインのインカ帝国征服によってほとんどが焼却されてしまい、資料に乏しい。
13)ほとんどの都市遺産は未だ発掘されていない。
スペイン/キリスト教の野蛮さが窺えます。

14)メソポタミアのユーフラテス川やチグリス川、エジプトのナイル川、インド亜大陸のインダス川、中国の黄河や長江のように文明の揺りかごは川や谷が担った。
15)一方、オーストラリアのアボリジニや南アフリカのサン人のような遊牧的な民族は、農耕を自文化に取り入れた時期は比較的近年になってからのことである。
16)農耕やその作業において分業を促進し、そこから複雑な社会構造とも言える文明を作り、国家や市場を形成した。技術は自然を利用する術を授け、交通や通信手段を発達させた。

最後は「農業の歴史」ページです。
1)農業の歴史では、農業(農耕・牧畜)の歴史および農業技術の発展と普及について記述する。
2)人類はもともと、もっぱら狩猟採集を行って生きていたと考えられており(狩猟採集社会)、農業は様々な分類群(いわゆるタクソン)の動植物を対象に、世界各地でそれぞれ別個に始まったと
  考えられている。
3)ロシア(のちソビエト連邦)の農学者・植物学者であり、遺伝学者でもあったニコライ・ヴァヴィロフによれば、栽培植物の起源中心地は、地球上の11の地域に及ぶ。
4)後述するように、およそ紀元前9500年頃の新石器時代にはレバントにおいて、デュラムコムギの始祖とされるエンマーコムギ、ヒトツブコムギをはじめ、オオムギ類、エンドウマメ類、レンズマメ、ヒヨコマメ、アマなど8種類の
  初期作物が収穫されていたことが知られている。
ですから、最初は多品種生産な訳です。
5)コメ類は、紀元前6200年頃までには中国で栽培が開始され、最古の収穫の記録は、紀元前5700年頃とされる。
大河の治水は大変ですから、稲作の発生地とは上流側なのでしょうか? それとも湖沼?

6)それに続いて、リョクトウ(緑豆)、大豆や小豆も栽培が開始された。
7)サトウキビや根菜の栽培は、紀元前7000年頃のニューギニア島で始まった。
8)モロコシは、紀元前5000年頃までには、アフリカのサヘル地域で栽培が開始された。
9)メソアメリカでは紀元前4000年頃に、現在のトウモロコシの起源とされる野生種のテオシンテ(または、テオシントとも)の栽培が始まった。
10)綿(ワタ)の栽培は、紀元前3600年頃までにペルーで始まったとされる。

11)牧畜については、紀元前11000年頃のメソポタミアでブタの飼育が始まったのに続いて、紀元前11000年頃から紀元前9000年頃にかけて、羊の飼育が始まったとされる。
家畜の詳細に関しては、後述します。
12)ウシについては、紀元前8500年頃の(現在の)トルコやパキスタン周辺で、現代の家畜牛の祖先にあたるオーロックス(1627年に絶滅)の飼育が始まった。
13)南アメリカのアンデス地方では、紀元前8000年頃から紀元前5000年頃にかけて、インゲンマメ類やコカとともにジャガイモの栽培が始まり、ラマやアルパカ、モルモットなどが飼育され始めた。
14)同じ頃、パプアニューギニアでは、既に交配されたバナナが収穫されていたとされる。

15)古代:
16)現段階で見つかっている最古の農業の痕跡は23,000年ほど前のものである。
17)ハーバード大学、テルアビブ大学とハイファ大学の共同チームが、イスラエルのガリラヤ湖岸で23,000年前の農耕の痕跡(オオムギ、ライムギ、エンバク、エンマーコムギ)を発見したと、ニューヨーク・タイムズなどが報道している。
18)レバント(歴史的シリア周辺、肥沃な三日月地帯の西半分)で1万年ほど前の農業の痕跡が見つかっている。
19)シリアのテル・アビブ・フレイラ遺跡(BP13050、紀元前11050年頃)でも農耕の跡(ライムギ)が発見されている。
20)他にもエジプトやインドで、それまで野生に生えていた植物の種を植えて収穫したことを示す遺跡が見つかっている。
人工的に植えた事を示す必要が有りますから、あるいは耕地に特徴が有るのでしょうか?

21)また、中国(黄河流域、長江流域)、アフリカのサヘル、ニューギニア島、南北アメリカの各所でそれぞれ独自に農業が始まった。
22)最初期の農業ではまずエンマーコムギとヒトツブコムギが作物として栽培され、続いてオオムギ、エンドウ、レンズマメ、bitter vetch、ヒヨコマメ、アマが栽培された。
vetchはソラマメ属だそうです。
23)エジプトで小規模な農耕が始まったのは紀元前7000年ごろである。
24)同じ頃、農耕を身につけたアナトリアの農耕民は、すぐに地中海沿岸およびイベリア半島まで農耕地を求め移住を始めた。
25)同様に現在のイランの農耕民は、インド亜大陸南端まで移住を始めた。

26)アジア:
27)インド亜大陸でも紀元前7000年ごろにコムギやオオムギを栽培していたことが、バルチスタン地方(現在のパキスタン)のメヘルガルの考古発掘で明らかになっている。
28)紀元前6000年ごろまでに、ナイル川河岸で中規模農業が確立。この段階では灌漑技術は十分確立したとは言えない。
29)同じころ、東アジアで米の栽培が始まっている。中国南部では、初期のオーストロネシア語族とモン・ミエン語族の話者によって、湿地農業の発展とともに、紀元前11,500年から6,200年頃に揚子江流域で米の栽培が開始され、
   ドングリ、シログワイ、オニバスなど、他の食用植物も栽培化された。
ドングリは草本ではなく木ですから、果たして栽培効率は良いのでしょうか?
30)中国北部では、紀元前8,000年から6,000年頃に初期のシナ・チベット語話者によってキビが栽培化され、紀元前5,500年までに黄河流域の主要作物になった。
ですから、黄河は稲では無い訳です。寒冷な気候なのでしょう。(〜稲はもともと熱帯、亜熱帯植物)
31)中国やインドネシアの農民はさらに、サトイモ、リョクトウやダイズやアズキといった豆類を栽培するようになる。
32)これらは基本的に炭水化物源であり、それを補うタンパク源として魚を大量に確保すべく漁網が発達することになった。
この辺りで、漁業も調べる事にします。漁業も最初は海ではなく、川なのでしょう。(笑)

→漁業

33)こういった農業と漁業の進歩により、それまでとはくらべものにならない速度で人口が増加し始めた(今もそれが続いている)。
34)紀元前5000年ごろまでに、シュメール特にペルシア湾のデルタ地帯からチグリス川とユーフラテス川の合流点を結ぶシャットゥルアラブ川沿いで大規模な耕作、単一種の栽培、計画的灌漑、農業専門の労働力といった農耕技法が生まれた。
35)野生のオーロックスを家畜化してウシとし、同じくムブロンを家畜化してヒツジとした。
36)それによって食肉や羊毛を大規模に確保するとともに、荷車を牽かせて使役した。
37)また、羊飼いが定住牧畜民または遊牧民として農民の仲間入りをするようになった。
農民の仲間入りとは、一体どの様な行動なのでしょうか?

38)メソアメリカ、南アメリカ:
39)アメリカ大陸では紀元前5200年ごろ、トウモロコシ、キャッサバ、クズウコンが農作物として栽培されるようになった。
クズウコンは多年草で、地下茎から澱粉を取ります。中国名は竹芋、だそうです。
40)アメリカ大陸発祥の農作物としては他にジャガイモ、トマト、トウガラシ属、いくつかの豆類、タバコなどがある。
41)南アメリカではアンデス山脈沿いの険しい斜面に段々畑が発達した。
42)メソアメリカでは6000年以上前に野生のテオシントに人間が手を加えて現代のトウモロコシの原種を作った。

43)それが徐々に北アメリカに広まっていき、ヨーロッパの人々が新大陸に到達したころにはアメリカ先住民の主食となっていた。
44)メソアメリカ原産の作物としては他に数百種類のカボチャ類や豆類がある。
45)カカオを作物としたのもメソアメリカである。
46)食用に供される鳥であるシチメンチョウ属もメキシコからアメリカ南西部で家畜化された。
47)南アメリカのアンデス山脈地域が発祥の重要な作物としてジャガイモがあり、5000年前ごろのこととされている。
48)南アメリカでは様々な豆類も作物とされたが、リャマ、アルパカ、モルモットといった動物も家畜化された。
49)アンデス地域発祥の作物としてはコカもあり、今も主要作物として栽培されている。

50)北米:
51)北米大陸の先住民(現在で言えばアメリカ合衆国東部にあたる場所にいた人々)も様々な植物を作物化した。
52)ヒマワリ、タバコ、カボチャ類、ケノポジ類などがあり、既に栽培されていない作物としてmarshelderやミナトムギクサもあった。
53)他にもマコモ(ワイルドライス)やサトウカエデなどは作物化には至らなかったが、採種栽培されたと見られている。
54)イチゴの最も一般的な種であるオランダイチゴの元となった種はアメリカ北東部で作物化されたものである。

55)プラウの使用開始:
56)紀元前3500年ごろ、”ard”と呼ばれる原始的なプラウが開発された。プラウが生まれる前は、単純な棒や鋤で土地を耕していた。
プラウの説明写真では、二頭の馬がこのプラウを引いています。和訳では犂鋤(りじょ、すき)だそうです。
57)これらの農器具は耕地の養分が枯渇するほど継続的に同じ土地で農耕を行うとき、土を掘り返して養分を含む深い部分の土を表面に出すのに必要だった。
58)メキシコでの発掘で、小さい農地で継続的に農耕を行い、生活していたことがわかっている。
59)中欧ヨーロッパでも同様の農法が行われていた。その場合、プラウは棒よりも効率的だった。
この棒とは、先のワンドやクラブの事でしょう。

60)古代ギリシアや古代ローマの農業はシュメールの農耕技法を元にしたものだが、いくつか根本的な改良も施した。
61)ギリシャ南部は土地がやせていて、文明を開花させるのに苦労した。ローマ人は農作物を交易用に栽培したという点が特筆される。

これだけ調べれば十分でしょう。次は文明の揺りかご、大河の存在です。(笑)

→大河の存在