大河の存在
Civではゲームスタート時、首都を創る開拓者は川沿いや海沿いに置かれている事が多い様です。Civでは高級資源が重視されてますが、まずは農耕ですよね?(苦笑)
Wikiで文明のゆりかごを調べると、「世界四大文明」ページがヒットします。最初は此処から。
1)世界四大文明は、歴史観・文明観の一つ。20世紀以降の日本や中国でのみ用いられる言葉・表現である。国際的には「文明のゆりかご」(Cadle of civilization)と言う。
2)学術上、何をもって「文明」とするか、世界中の研究者によって様々な見解が提唱され明確に定義できていないために、文明の数についても特定できない。
3)世界四大文明という言葉は、国際的に通用しない言葉であるだけでなく、学術上の提唱者すら不明であり、通俗的、習慣的に長年使用されている用語である。
ハナから何ですが、昔は教科書でもこの様な表現が巾を効かせていました。(笑)
4)日本や中国では、紀元前3000年から紀元前2000年にかけて生まれたメソポタミア文明、エジプト文明、インダス文明、中国文明の4つの文明を世界四大文明としている。
5)いずれも大河のほとりに生まれたため四大河文明と呼ぶこともある。
漸く大河が登場しました。この大河と早期文明、文明の発生地との関係は、以下に語られるでしょう。
6)国際的な用語である「文明のゆりかご」は、肥沃な三日月地帯を念頭に起きつつ(置きつつ?)、長江文明、メソアメリカ文明、アンデス文明、等々も含む。
インダス文明が消えて、代わりに中南米の文明が追加されています。
7)「文明」の学術上の定義、そして、そこから導かれる文明の数など、いずれも様々な見解が提唱されている。
次に「肥沃な三日月地帯」ページを調べると、
1)肥沃な三日月地帯とは、古代オリエント史の文脈において多用される歴史地理的な概念である。
2)その範囲は東のペルシア湾からチグリス川・ユーフラテス川を遡り、シリアを経て西はパレスチナ、エジプトに至る半円形を示す。
3)この用語が初めて用いられたのは、1916年のことである。当時、シカゴ大学のエジプト学者であったジェームズ・ヘンリー・ブレステッドが、著作『古代』の中で初めて記した。
4)それ以後、多くの学者によって古代オリエントの中心地を指す用語として使われるようになった。
そしてこの地域には、ユダヤ教やキリスト教の震源地も含まれています。(笑)
5)中でも年間降水量が多い地帯の形が三日月のように見えるため三日月地帯と言われる。
ですから文明の発生には、降水量も関係している訳です。(笑)
6)またこの地域は食糧源、地域の作物収量においても付近よりか多様だった。
収量−多様の表現は、不適切です。
7)現代においても古代オリエントの地理を説明する文脈では多用される用語だが、その地理的範囲に厳密な定義はなく、域内の気候やそれに合わせた農業体系、文化も必ずしも同質ではない。
むしろ、周辺の砂漠地帯に対する大河地帯の特性を強調した用語といえる。
つまりは大河の存在が気候の制約を越えて、食糧の入手に寄与している訳です。
8)この地域は、メソポタミア、古代エジプトといった多くの古代文明が栄え、後々まで中東の中心であった。
ですから現在の紛争地も、昔から豊かだった訳です。
9)しかしながら、「メソポタミア文明は肥沃な三日月地帯から始まった」というのは誤りであり、この地域は灌漑農業ではなく乾燥農業を行うことはできるが、メソポタミア文明の繁栄をもたらしたシュメール人がこの過酷な乾燥地帯に
文明をもたらすことができたのは肥沃な土地に頼らず、ここで生活できるように堤防や水路の建設、物流システムの構築などをした努力にあるともいえる。
我々は近距離の交易に関しては、既に言及しています。ですから次は、「治水と利水」です。
10)今日、この地帯に含まれる主要な国は、イラク、シリア、レバノン、イスラエル、パレスチナであり、それにエジプトも含むこともある。
11)また、東南トルコ、北西ヨルダン、南西イランも含まれる。
という訳で、次は「治水と利水」です。
→治水と利水