東海道バーチャルトリップ

106)急な上り:博物館の先

うつべ町かど博物館からは、急な上りが続きます。杖衝坂のモニュメント群は旧道の左手、写真中央に在ります。

107)モニュメント群/杖衝坂:坂の先、左手、徒歩213分、道路南側

旧道の左手石垣の上に手前から順に、史蹟杖衝坂石碑、蓋の付いた井戸、笠付永代常夜燈(写真中央)、屋根付芭蕉句碑(写真右側)、芭蕉の句碑について説明石板、「杖衝坂と血塚社、二つの井戸」立札、蓋の付いた井戸、杖回収用の籠が在ります。
芭蕉句碑の屋根右側には額も飾られていますが、読取れません。
説明石板の説明文には、俳聖 松尾芭蕉が貞享四年(一六八七)に江戸から伊賀に帰る途中 馬に乗ってこの坂にさしかかったが 急な坂のためその鞍とともに落馬したという。そのときに詠んだ季語のない有名な句である。宝暦六年(一七五六)
村田鵤州が杖衝坂の中ほどにその句碑を建てた。明治の初期 坂の下采女西町 永田精一郎氏の庭先に移されたが このたび現所有者藤沢一郎氏ご夫妻のご理解により 再びこの地に移設したものである、昭和五十一年三月吉日、とあります。

また、立札は更新されています。以前立札は灰色をしていました。立札の説明文には、東海道の中でも急な坂で、杖突坂とも書く。倭建命が東征の帰途、大変疲れられ「其地(そこ)より、やや少し幸行(いで)ますに甚く疲れませるに因りて、御杖を衝きて、
稍(やや)歩みたまひき。故(かれ)、其地を号(なず)けて杖衝坂と謂ふ」(古事記)とあり、杖衝坂と称されるようになった。元禄元年(一六八八)芭蕉が旅の途中、馬に乗ってこの坂を越えようとしてあまりの急坂に落馬して詠んだ句「歩行ならば杖つき
坂を落馬かな」により、更にその名が世に広まった。また、坂を上りきった所には、倭建命の足の出血を封じたといわれる血塚の祠がある。杖衝坂にある二つの井戸は、坂の上手の井戸を「弘法の井戸」、下手のものを「大日の井戸」といい、前者は、弘法大師
が水に困っている村人に杖で指し示され、そこを掘ったところ清水が湧き出した井戸であると伝えられている。後者は、坂の中腹にあった大日堂に供える閼伽水(仏に供える水)をくみ上げた井戸と伝承され、二つの井戸は大切に守られている、とあります。

何れの井戸や石碑も、先のうつべ町かど博物館ホームページの動画にその説明が有ります。先の芭蕉句の解説は、徒歩ならば・・・(落馬しないのに・・・)、です。老い→騎乗→落馬の、二重苦です。(笑)

108)杖衝坂の全貌:芭蕉句碑の先

写真は、石薬師宿側から撮っています。(短いですが)かなり急な坂である事が分かります。屋根付芭蕉句碑は、写真中央に在ります。急な坂は未だ少し続きます。

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