東海道バーチャルトリップ

46)四日市市指定無形文化財、日永うちわの制作技術(技術保持者:稲垣和美)、平成三十年三月二十二日指定、立札:案内板の先、右手、道路西側

SUS製立札には左上にうちわの絵、左下に周辺図が描かれており、地図には現在地から製造所「稲藤」への経路が示されています。右の説明文には、日永うちわは、東海道の日永の周辺で作られていたことから、この名前がつけられました。
起源は不詳ですが、東海道を往来する人たちや伊勢参りの土産とされていたことが江戸時代の文献『勢陽五鈴遺響』や『伊勢参宮名所図会』に記されています。明治・大正期には十数軒の日永うちわを製作する店があり、昭和に入ってからも
数軒の店がありましたが、昭和五十年頃には「稲藤」一軒のみとなりました。稲藤は明治十四年に庄屋であった稲垣藤之助が創業し、代々稼業として技術を受け継ぎ、稲垣和美は現在四代目としてその技術を伝承しています。日永うちわの特徴
である女竹(めだけ)を使い、扇部分の骨と丸柄が一体になるよう作り出すための割竹、竹編み、紙貼りなど一連の技術を伝承していることは貴重であるといえます。制作技術の保持者、稲垣和美は、経験年数が三十余年に及び、制作技術を
正しく体得し、かつ精通し、全行程を行う技術を高度に体現できる唯一の保持者であり、後継者の育成にも力を入れています。令和二年三月、四日市市教育委員会、とあります。

まあ、伝承者が一人に成る前に、手を打ちましょう。(笑)この先右手には、真宗高田派雲祥山西唱寺(うんしょうざんせいしょうじ)参道と同立札も在ります。

47)日永一里塚跡:案内板の先、右手、徒歩100分、道路西側

此処には史蹟日永一里塚阯三重縣石碑と東海道道標、三重県指定記念物(史跡)日永一里塚跡立札が有ります。そして此処が東海道100番目の日永一里塚なのです。しかし残念ながら、石碑は左に少し傾いています。
SUS製立札の説明文には、昭和十三年四月十二日指定、昭和二十七年七月九日所在変更、一里塚は、江戸時代に整備された街道において約一里(約四km)ごとに設けられた塚で、市内には東海道筋に四カ所築かれた。文化三年(一八〇六)
の『東海道分間延絵図』にも、富田・三ツ谷・日永・采女の一里塚がそれぞれ描かれている。日永一里塚跡は当初、天白橋の北詰西側の榎の老樹のある場所と思われており、標柱が建てられ県の史跡に指定されていた。しかし、その後の考証に
より、日永五丁目の現在地が正しいということになり、標柱を移した。この日永一里塚は、もとは五間四方で高さ二・五間の塚が東海道の両側に築かれており、西側の塚には榎が残っていたが、明治二年(一八六九)に伐採され、塚もその姿を消した。
平成二十六年九月、四日市市教育委員会、とあります。

48)小橋:塚の先

此処で旧道は小橋を渡ります。橋の右側は、道路/暗渠と成っています。旧道の前方には、名残りの一本松も窺えます。

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