東海道バーチャルトリップ

37)直進地点/日永神社参道:左曲りの先、右手、徒歩85分、道路西側

旧道右手に日永神社の参道が在ります。旧道は此処を直進します。参道右手に読めない定高札、左手に日永神社立札と日永神社社碑。参道左右に奉燈一対、その先は石鳥居で、注連縄が切れて垂下がっています。
立札の説明文には、当社は伊勢の神宮で祀られる天照大御神をまつる。古くは南市場神明社・南神明社と呼ばれた。日永神社と単称されたのは明治四十年からである。創祀・沿革の記録や文章も残されておらず、いつの時代に創祀されたのか不明
である。江戸時代には、神戸藩主本多家からの崇敬も篤く、また東海道に面して多くの人々が参拝された。明治四十年には日吉神社・岡山白髭神社・山之神社、さらに天正十年(一五八二)に創祀されたと伝えられる追分神明社を合祀し、同四十四年
には池鯉鮒社・稲荷社を合祀して現在に至っている。例祭は十月の体育の日である。以前は拝殿の右側に松の老木があり、国難があると樹皮が変色して人々を驚かせ、神木として崇められていたと言い伝えられているが、その木は今はない。
なお正面の拝殿右側に立つ道標は、もと追分の神宮遥拝鳥居の場所にあったもので、明暦二年(一六五六)に僧侶によって立てられた東海道最古の道標である、とあります。

神宮遥拝鳥居の「神宮」部分が張り紙によって修正されていますが、元は「新宮」でした。(笑)

38)日永神社:参道の先、道路西奥

鳥居の先には狛犬一対と、石灯籠四対。今回、ガイドは参拝をご遠慮しました。前回の記録を参照すると、拝殿手前に奉燈一対、拝殿には細めの注連縄が飾られており、房の数は7本です。
拝殿の右側には、追分道標と同立札が建っています。

39)追分道標と同立札(旧)/日永神社:拝殿右側

参道右手、拝殿の右側には追分道標と、同立札が建っています。写真は、前回のそれを掲載しておきます。立札の説明文には、この石柱は昔、日永の追分の神宮遥拝鳥居の傍に立てられていた道標である。
この道標には正面に「大神宮 いせおいわけ」右側面に「京」左側面に「山田」そして裏面には「明暦二丙申三月吉日南無阿弥陀仏 専心」と刻まれている。この道標が立てられた明暦二年(一六五六)といえば、神宮遥拝鳥居が建立されたときよりも
約百二十年も前であり、東海道における最古の道標としても貴重なものである。更に立てた人がお坊さんであること、そして南無阿弥陀仏と彫られていることも興味のあることである。嘉永二年(一八四九)神宮遥拝鳥居の脇に現在の立派な道標が
立てられたとき、この小さな道標が不要になり、近くにあった追分神明社の境内に移され、その後、明治四十年に追分神明社が日永神社に合祀された際に、道標も一緒にここに持って来られたものと推定される、とあります。

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