東海道バーチャルトリップ
31)直進地点/真宗高田派日永山興正寺参道:道標の先、右手、徒歩68分、道路西側
旧道右手に、同参道が在ります。参道右手には日永山興正寺(こうしょうじ)立札、その左に真宗高田派日永山興正寺寺碑。山門は瓦門です。寺碑の裏には、平成二十年十一月建立、とあります。
立札の説明文には、当山は浄土真宗高田派で、創建は貞観六年(八六四)と言われている。登城山にあったときは天台宗であったが、文暦元年(一二三四)親鸞聖人が当寺に立ち寄られたとき浄土真宗に改宗した。
その後二百年くらいして、本山の第十世真慧上人(しんえしょうにん)が津の一身田に本山を定められ、高田派となった。天文十三年(一五四四)本山第十二世堯慧上人は当寺で「日永千部」という本寺の復興勧進法要を勤められ、
興正寺は有力な末寺となった。天正二年(一五七四)現在地に移る。堯慧上人は織田信長にも治安維持を願い、日永興正寺四至傍至の事」という寺領を与える文書、豊臣秀吉の寺内「禁制状」などを有している。
また、徳川家もこの寺を保護するよう配慮した。天白川がこの寺を囲むように曲がっているのも滝川一益が堀の役目をするようにしたと言うことで、この堤を昔の人は滝川堤とも言った、とあります。
32)真宗高田派日永山興正寺:道標の先、右手、徒歩68分、道路西側
山門を潜ると左手に手水と、左奥に鐘楼。右手樹木(桃の木?)で、その先左手にも樹木、お堂の前には女人講中と彫られた石灯籠一対が建っています。お堂には、日永山の額が飾られています。
ガイドも参拝をします。
33)天白(てんぱく)橋/天白川:立札から少し歩き、徒歩73分
この橋も坂を上った所に在ります。天白橋の左右には、歩道が付いてます。橋の左手には、四日市コンビナート地帯も窺えます。
実はこの天白川の氾濫によって、近鉄八王子線の西日野駅−伊勢八王子駅間は廃線に追込まれたのです。ですがこれは、「お金を掛けて迄復旧するだけのメリット、需要が無かった」のが実情でしょう。
つまりは天災が、赤字路線に止めを刺した訳です。
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