東海道バーチャルトリップ
28)記念碑?:神社を罷ると、右手、道路西側
大宮神明社を罷ると、旧道右手に石碑/記念碑?が建っています。篆書体の題字の下には細かい文字がびっしりと刻まれていますが、不鮮明です。碑文には、若址?田中名光治是?三重縣三重郡?日永?村人文吉平母廣瀬氏若〇、
・・・明治三十一年二月、とありますから個人の記念碑なのでしょうか? また文中には徴編入、清國、軍人、とありますから、日清戦争(明治27−28年)に関するそれなのでしょうか?
この位の彫ならば、後世のAI画像解析で文章化が可能であると思われます。(笑)その左側には「世界人類が平和でありますように」と記された、白いポール(〜ピースポール)も建っています。
29)古い道標(水沢道標)/ト字路:碑の先、右手、道路西側
ト字路交差点右手前に背の低い、古い道標が建っています。残念ながら、文字はかなり不鮮明です。
30)水沢道標立札と日永郷土史地図:道標の先、右手、道路西奥
道標先のト字路交差点を右折すると、右側の壁に同立札と同地図が貼られています。立札の説明文には、大正十二年(一九二三)の水害まではこの横の道が水沢方面に通じる道路であった。このため、今から約二百年ほど前に
大阪の古銭収集家の河村羽積(はづみ)という人が東海道から水沢道が分かれる角に立てたのがこの道標である。水沢の楓谷(もみじだに)は紅葉の名所であり、昔は菰野藩主の土方公が必ずこの紅葉を愛でられたという。
この碑の表面には「水澤は藍より出て紅葉哉 大坂 羽津み」裏面には「猿丸太夫名歌古跡すい澤是ヨリ三里」と彫られている。猿丸太夫の名歌とは「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の声聞くときぞ秋は悲しき」と詠まれたものである。
とあります。この猿丸太夫(伝説的歌人、詠み人知らず)の歌は有名で、百人一首にも掲載されています。ガイドも此処だとは知りませんでした。ちなみに太夫とは、五位以上の官人の事です。
菰野藩は伊勢国三重郡(現在の三重県三重郡菰野町菰野)に存在した藩、とあります。また水沢村(すいざわむら)は、三重県四日市市の水沢町です。
郷土史地図の方には、旧道を中心とした名所、旧跡が描かれています。しかし赤色表示の文字は、褪色が著しい。同地図には近鉄内部線、近鉄八王子線、とあります。同路線は近鉄が保有していた路線で、2015年4月1日から
四日市あすなろう鉄道が運行しています。ですから同地図の作成は、2015年以前です。また「追分の旅宿等位置図」も挿入されています。こちらの方は、日永の追分近辺の町並図です。
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