東海道バーチャルトリップ
19)石灯籠、従是東神戸領道標、女人堤防石碑、女人堤防碑文説明板:道標の向い、左手、徒歩48分、道路南側
旧道左手手前から順に、石灯籠、同道標、同石碑、同説明板が在ります。旧道は鈴鹿川の北岸を上っています。この辺りの堤防は女人の手によって造られました。
説明板の右側には説明文が、左側には周辺図が描かれています。図にはいぼとり地蔵、碑、女人堤防、東海道、安楽川、鈴鹿川が描かれています。また説明文には、
この地、鈴鹿川の北安楽川との合流点にあって、完全な堤防がない為、毎年夏季の水害には、耕地・住宅の被害甚だしく人名を失ったことも屡次、幾度かの堤防建設の訴願も、南岸の城下町神戸の浸水を怖るる藩主許す所とならず、
強いて行えば打首の極刑に処せられる。されど、毎年の如く被害を蒙る部落民は眼前の苦悩に堪え難く、如可なる処刑をも恐れず築堤せんとした。この時に当たり菊女という乙女、打首の刑を犯す築堤は、男子全員の命を失い将来部落の自活に
大いなる支障を来す。この工事は、私等の死出の仕事にしましょうと絶叫した。これに動じた女衆二百余人、暗夜を選んで工事を続け、苦心惨憺六年遂に完成、今日の美田、安住の地を得たるに到った。
この事、いつしか藩主の知るところとなり、処刑の日は来た。今しその第一番者菊女が断頭の座についた刹那、家老松野清邦の死を期しての諫による赦罰の早馬駆け来たり既に覚悟した二百余名の命は助けられ、あまつさえ、築堤の功を賞して金一封と、
絹五匹を贈られた。実に女の一念岩をも通した美挙である。茲にこれを記念せんがためこの碑を建つ、篆額 三重県知事 田中覚 書 出撰並書 水谷潔、昭和三十三年四月、とあります。
この武家>>民家の差別は、他の場所でも見られました。(苦笑)
20)左曲り:石碑の先、左手、徒歩51分、道路南側
左奥は鈴鹿川の堤防です。
21)直進地点/二叉:左曲りの先
旧道は此処を直進します。左側の道を行くと、安楽川の堤防に出ます。
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