東海道バーチャルトリップ
94)和田一里塚/広場:石上寺から少し歩くと、右手、徒歩196分、道路北側
旧道右手には広場があり、旧道沿いには手前から順に、亀山宿・江戸の道(旧東海道)案内板と和田一里塚跡立札が建っています。ガイドもベンチで一休み。
95)亀山宿・江戸の道(旧東海道)案内板/広場:
案内板は先のそれと同様で、周辺図の周囲に事業概要と和田道標、石上寺古文書についての説明も為されています。事業概要の説明文は井田川駅のそれと同じです。和田道標のそれは、
高さ1.37mの花崗岩の角柱で、正面に「従是神戸白子若松道」と刻まれており、元禄3年(1690)渡会益保によって東海道と神戸道の分岐に立てられた、市内に現存する最古の道標である。藩政時代の神戸道は亀山城下から亀山藩領若松港へ通じる
主要道路であった。石上寺古文書のそれは、
(三重県指定文化財)、石上寺は、延暦15年(796)に勧請された熊野権現の神宮寺で、朱雀天皇の勅願寺になったと伝えられる古刹である。建久3年(1192)源頼朝から寺領社殿の寄進をうけ、同5年には将軍家祈願所となるなど、鎌倉から室町時代を
通して手厚い保護をうけていたが、織田信長の兵火によって灰燼に帰した。しかし、後村上天皇綸旨や足利尊氏制札などの古文書20点が遺され、その栄華を今に伝えている。これらの古文書は、昭和28年三重県文化財に指定された。(非公開)、とあります。
96)和田一里塚跡立札/広場:
立札の説明文には、野村一里塚とともに亀山市内に所在する旧東海道の一里塚で、慶長九年(一六〇四)幕府の命により亀山城主であった関一政が築造した。かつてはエノキが植えられており、昭和五九年の道路拡幅までは塚の一部が遺されていた。
現在の塚は、塚跡地の東側に近接する場所に消滅した和田一里塚を偲んで模式復元したものである。平成十三年十月、亀山市教育委員会、とあります。
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