東海道バーチャルトリップ

91)小橋:合流地点から少し歩き、右手石段の左側に、徒歩186分、道路北側

坂を上ると、小橋を渡ります。亀山市街は河岸段丘上に形成されています。

92)遊歌詠浄土石碑/石上寺:右入から少し歩き、右手石段の左側に、徒歩186分、道路北側

旧道右手に、大きな同石碑が在ります。石碑には、為金剛流詠範大谷すを女史、遊歌詠浄土、芳甚・・・、台座には高野山、金剛講、鈴鹿支部、と彫られています。

93)高野山真言宗那智山石上寺(せきしょうじ):石碑の先、右奥、道路北側

石碑の前を右に入ると左手に石段があり、石段を上ると高野山真言宗那智山石上寺です。正面にはお堂、左手は本堂で、本堂左手前には紙本墨書(しほんぼくしょ)石上寺文書説明板も在ります。
本堂左側には青銅製の仏像と小高い丘、青銅製の修行僧像、丘の上には仁王護国般若経石塚石碑も建っています。説明板の説明文には、
昭和28年5月7日三重県有形文化財指定、石上寺は、延暦15年(七九六)、大和国布留郷(奈良県天理市)の住人「紀真龍」により勧請された「新熊野三社」の神宮寺として開創されたという。鎌倉時代には将軍家祈祷所となるな手厚い保護を受け
広大な伽藍寺領を誇ったが、織田信長の伊勢進攻による兵火で、伽藍等を失い衰微したと伝えられる。現在は、後村上天皇綸旨や畠山高国袖判禁制、歳末巻数返事、管領畠山持国室町幕府下知状、正平元年某袖判寄進状など、鎌倉から室町時代
の古文書20通(21点)が残されている。これらの文書群は、県下でも数少ない中世文書群であり、当時の石上寺と社会の関係を示す貴重な資料である。(亀山市歴史博物館に寄託中)、指定区分、有形文化財 文書、平成11年3月、
三重県教育委員会、亀山市教育委員会、とあります。これは代々の住職のお陰なのでしょう。(笑)

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