東海道バーチャルトリップ
4)庄野宿いっぷく処立札:少し歩くと、左手、道路東側
おもてなし日、毎週日曜日・毎週月曜日、日/月オープン・午前10時30分〜午後3時、とあります。会場である集会所は、本陣跡碑と距津市元標碑辺りに在ります。それでも、日月開催は珍しいでしょう。(笑)
5)庄野宿資料館:立札の先、左手、徒歩6分、道路東側
大きな切妻の二階建てです。建物の手前には庄野白雨版画高札が有ります。高札の右側には、俵?を頭頂に頂く、庄野宿四百年記念石碑が建っています。
入口はその先に在り、入口右側には庄野宿資料館の札も貼られています。その奥の建屋入口の右側には庄野宿資料館立札が貼られており、その右に鈴鹿市指定建造物旧小林家住宅石碑、その右には大きな庄野宿資料館看板。
この立札は更新されており表示には、開館時間午前十時〜午後四時、休館日月・火曜日、第三水曜日、年末・始、入館料無料、庄野宿資料館運営委員会、とあります。
また小林彦三郎は、明治生まれの画家です。
ガイドが訪れた前回も今回も、休館日でした。ここで休憩を予定していたので、残念です。せめてベンチを置いておいて欲しいものです。(苦笑)
6)庄野白雨版画高札と庄野宿宿立四百年記念石碑/資料館:建物の手前、同分
この高札も更新されています。高札の説明文には、
当地(庄野)という地名は、昔は「荘野」と書いていたように荘圓(庄圓とも書く)にちなむ地名です。庄野については、伊勢神宮内宮の庄野御圓であったと伝わっています。庄野宿は、江戸から約400キロメートル(100里)の四十五番目の宿場でした。
宿場ができたのは寛永元年(1624年)と最も遅く、石薬師宿と亀山宿の間に宿立てされました。隣の石薬師宿から庄野宿までは2.7キロメートルほどしかなく、東海道では二番目に距離が短いそうです。200軒ほどの人家と15軒ほど旅籠がある
程度で、東海道のなかでは規模の小さな宿場でした。その庄野宿を有名にしたのが、歌川広重が描いた保永堂版「東海道五十三次」の風景版画のなかで傑作といわれる「庄野の白雨」です。
突然掻き曇る空、客を濡らさぬように坂を駆け上がる駕篭、その中の客は振り落とされないように必死に駕籠の枠をつかんでおり、体に〇(菰?)を巻き付けた男がそれを追い越していきます。左上がりの対角線に坂道を配置し、ほぼ直角にたたきつける
雨の構図は迫力と動きを強調して、この場の臨場感を表現しています。広重の代表作といわれる名作です。今でもここは、街道を歩けば昔ながらの建物や案内板など、かつての東海道の面影が随所に残っています。江戸時代の旅人に思いをはせながら、
ゆっくりと庄野の町を散策していただきたいと思います。令和三年三月、庄野地区まちづくり協議会、とあります。また浮世絵の下には、
天領である庄野宿は寛永元年(1624)に設置。本陣・脇本陣各一・旅籠十五軒 五十三ある宿場のうち最も遅かった。「草分け三十六戸・宿立七十戸」対岸の集落を移動させ宿立七十戸とした、とあります。
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