東海道バーチャルトリップ
10)旧浅原家木板:参道の先、左手、徒歩14分、道路南側
木板の説明文には、
同家は、屋号を江戸屋と称し、米屋、材木屋などを営む。家の正面は塗籠の中二階、連子格子明治以降についた店棚、馬つなぎの環などがあり江戸期の面影を最もよく残す建物といえる。障子の下張りに万延の文字があったところから
それ以前の建築年代と察せられる。関町教育委員会、とあります。
馬つなぎの環は桑名宿などにも有りましたが、皆撤去されてしまいました。
11)御馳走場:木板の先、右手、徒歩17分、道路北側
右手前から順に、御馳走場石碑、松2本、御馳走場高札、手づくり郷土賞モニュメントが有ります。御馳走場とは、宿役人が出迎えたり見送ったりする場所です。
高札の右側には説明文が、左側には周辺図が描かれています。説明文の文字は既に掠れていますが、亀山市関宿重要伝統的建造物群保存地区、昭和57年12月10日選定、御馳走場、と読めます。(早急な対策が必要です。)
また高札の右側の柱には木札が貼られており、「〇(〇+う) うち揃い、殿様迎える 御馳走場、関宿かるた」、とあります。
モニュメントには、手づくり郷土賞、建設大臣野田毅書、歴史をいかした街並み三十選、平成元年七月、寄贈(社)中部建設協会、とあります。
12)雲林院家立札:御馳走場の向い、左手、同分、道路南側
写真中央の建物の玄関に、同立札が貼られています。立札の説明文には、
同家は昔はかいうん楼と称し隣の松鶴楼と並んで芸妓置店であった。街道筋の宿場ではたいていの旅籠は飯盛女と呼ばれた遊女を置き、また専門の遊郭も多かった。かいうん楼はその代表的なもので
表の立繁格子やべにがらぬりのかもいや柱にその面影を遺している。関町教育委員会、とあります。
立繁格子とは、縦方向の格子(縦桟)を普通のものより細かく、密に立てて並べたもの、とあります。べにがらとは、色の事だそうです。べんがら(酸化鉄)と同じです。花街ですものね。(弁天と同じ色、笑)
かもいとは和室、日本家屋の構造で、長押の下、頭を良くぶつける場所です。(笑)
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