東海道バーチャルトリップ

70)九關山地蔵院寳藏寺(関地蔵院):川音の先、交差点左奥、徒歩93分、道路南側

九關山地蔵院寳藏寺は、丁字路交差点の左奥に在ります。關は関の旧字です。メモ帳(ソフト名)でもかなりの漢字が使用可能なので、驚きました。(苦笑)写真正面奥に見えるのが、本堂です。

71)地蔵院入口:入口の左側

地蔵院入口左側には種々の構造物があり、道路の路肩にせきのぢざう五十三次タイル(写真右側)、その奥に石のベンチ、その奥左から順に、「停車場道」道標、大きな「歴史の道旧東海道関宿」石碑、石灯籠が在ります。
同タイルの左下には本堂が描かれており、右上には「せきのぢざう」の文字が、下側には五十三次の文字が彫られています。同石碑の上部には、道、日本の道100選、旧東海道、昭和61年8月10日、タイルが埋込まれています。
この8月10日は、「道の日」です。また石碑の裏面にも、説明板が埋込まれています。その説明文は、
関は、古代愛発(あうち、越前)、不破(美濃)とともに日本三関の一つであった「鈴鹿の関」が置かれたところです。江戸時代には、東海道五十三次の四十七番目の宿場町として殷賑(いんしん)を極めました。
この歴史を語る旧東海道東西追分の一・八kmが、昭和六十一年八月十日「道の日」制定を記念して建設大臣より「日本の道百選」に顕彰されました、とあります。
また石灯籠正面の文字は難読ですが、柴山藤蔵と読むそうです。柴山は愛知県清須の人です。右側面には、天下太平五穀成就、左側面には蛍前世話人・・・郎、とあります。
裏面には、文久・・・八月〇とありますから、製造年月を記しているのでしょう。文久年間は1861年から1864年です。

72)鹿の像が置かれたお堂/地蔵院:入口、高札の先、境内左手

先の入口から左手瓦塀沿いに歩くと、名前の連なる高札(〜寄進者?)を経て、鹿の像が置かれたお堂の前に至ります。お堂の右下には、鈴鹿の由来説明板が貼られています。その説明文には、
六百七十二年壬申の乱において、大海人皇子は大友皇子を討つため、吉野を出発され加太を経て関へ向かわれる途中、豪雨と暗夜のため道に迷われ進退に窮せられた。その時鈴をつけた鹿が現れたので神の助けと
その鹿に乗られ、山を越え川を渡り関の里へ無事お着きになり難をのがれられた。それ以后このあたり一帯を鈴鹿と呼ぶようになったといわれている。これに因みこの像を造る。鹿の像寄進者、書道塾二十周年記念、
佐野寿・・・、昭和四十七年四月吉祥日、現菫定淵、桑名市、アポロ興産株式会社、協力、ミヤザキ社寺業有限会社、亀山市まちなみ文化財グループ、改訂平成三十一年三月吉祥日、現住崇雅・・・、とあります。

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