東海道バーチャルトリップ
49)立札と二つ目の書状集箱/関郵便局:深川屋の先、右手、徒歩73分、道路北側
旧道右手手前には題の無い立札が、その左に同箱/POSTが在ります。立札の文字は黒色で、あたかも木材に鏝を当てた様な風合いです。その説明文には、
このポストは、文化財保護法により選定された関宿重要伝統建造物群保存地区の町並みとの調和を保ちつつ、みなさんに利用していただけるようにした特別なポストで、京都大阪に設置され現在は東京の逓信総合博物館に所蔵されている
日本最古のものを模して作成したものです。日本の郵便ポストは明治五年(一八七一)の郵便創始あたり、東京に十二ヶ所、京都に五ヶ所、大阪に八ヶ所のほか、東海道の各宿駅に六十ニヶ所設置したのがはじまりです。当時のポストは
江戸時代の「目安箱」に似た木製の箱で、「書状集め箱」と呼ばれていました。関郵便局、亀山市教育委員会、とあります。
50)関郵便局入口:ポストの先、右手、同分、道路北側
入口の右には書状集箱が、左には関郵便局と記された大きな立看板が在ります。入口正面の郵便局の建物も、古風です。
51)高札場/同郵便局:入口の先、右手、同分、道路北側
旧道沿いに、高札場の復元模型が在ります。定高札が全部で8枚掛かっています。高札場の左下に、関宿かるた札と関宿高札場説明板が在ります。かるた札は、「〇(〇+こ)高札場、徳川家康茶屋御殿」。マンマです。(苦笑)
説明板の説明文は、
高札場とは、幕府の法度や掟書、宿場の決まりなどを掲示した場所です。関宿の高札場は、江戸時代に描かれた数々の絵図を見ても、関宿中町北側(現関郵便局)にありました。当時この敷地は、「御茶屋御殿(おちゃやごてん)」
と呼ばれ、江戸時代初期においては本陣の役割を果たす施設でしたが、関宿に本陣が確立されてからは、亀山藩の施設として番所などが置かれていました。関宿高札場は、この御茶屋御殿の街道に面した位置にあり、街道に面した
間口十一間余のほぼ中央に、枡形状の土塁に囲まれてあり、高札場の建設、高札の付け替えなどは亀山藩が行っていました。
『東海道宿村大概帳』によると、関宿高札場には八枚の高札が掲げられており、その内容は、生活にかかわる様々な規範、キリシタン禁令や徒党・強訴などの禁止といった幕府の禁令、隣接宿場までの人馬駄賃の規定などでした。
明治時代になると、各地の高札場は撤去されますが、関宿の高札場も、明治十年、関宿中町伊藤家の土蔵建築の際、旧高札場の石、土、瓦等を残らず処分したことが当家文書にあり、周囲の土塀なども含めすべてが撤去されたことが
分かります。この度、関宿の町並み保存に取り組んでいただいている「関宿町並み保存会」、「関宿案内ボランティアの会」、「関町観光協会」の三団体より、高札場復元のご要望をいただき、また、復元場所を所有する日本郵政公社及び
関郵便局の多大なるご理解・ご協力を賜り、宿場町の重要施設のひとつである高札場の復元が実現したものです。以下略、平成十六年三月亀山市、とあります。亀山市の部分はシール修正ですが、元は関町の文字だったのでしょう。
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