東海道バーチャルトリップ
40)東海道関宿道標:百六里庭の先、左手、徒歩47分、道路南側
正面に東海道関宿、左側面に重要伝統的建造物群保存地区、昭和五十九年十二月十日選定、右側面に重伝建選定二十周年記念事業(平成十六年度)、裏面に亀山市教育委員会、平成十七年三月建立、とあります。
新し目の道標ですが、その分有難味は有りません。(笑)
41)伊藤本陣:道標の先、左手、徒歩48分、道路南側
此処には伊藤本陣阯石碑とその左に木製ベンチ、その上に関宿かるた札、その右に伊藤本陣 松井家立札が有ります。写真は逆光の為、画質が劣化しています。
かるた札には、「〇(〇+ほ)本陣を、歌川広重浮世絵に」。歌川広重は勿体無い。広重だけでも通用します。
立札の説明文には、伊藤本陣は、川北本陣と並んで東海道関宿の中心的な役割を果たした。本陣とは宿駅に設けられた大名や公卿高層など身分の高い人々の休泊する宿を指すようになった。伊藤本陣は、間口十一間余、建坪
六十九坪、西隣の表門は、唐破風造りの檜皮ぶきであった。現在残っている街道に面した部分は家族の居住と大名宿泊時に道具置き場に供する建物である。亀山市、とあります。
42)橋爪家立札と関宿かるた:本陣の向い、右手、同分、道路北側
柱に同かるた札が貼られており、その右下に同立札が貼られています。かるた札には、「〇(〇+ま)丸みある、屋根の形は起こり屋根」。立札の説明文には、
同家は、代々橋爪市郎兵衛を名乗り、寛文の頃から両替商を営み、江戸にも出店を持ち、大阪のこうの池家と並び称される豪商であった。江戸末期は芸妓の置屋として栄えた。街道に面して手摺付の二階妻入り建であるが、
これは明治期の改造でもとは平入の屋根であった。亀山市、とあります。
こうの池家は大坂の有名な豪商で、両替商からゼネコン鴻池組を誕生させています。
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