東海道バーチャルトリップ
31)中町三番町山車の格納庫:問屋場の奥、右手、徒歩38分、道路北側
格納庫の扉に中町三番町山車の説明板が、右の柱に関宿かるたの札が貼られています。かるたの札は、「〇(〇+な)夏祭り、屋台が回る関の曳山」です。
また同説明板の右側には説明文が、左側には同山車の写真が掲載されています。写真からは上部には人が乗れる様な桟敷は有るものの、肝心の回る屋台は確認出来ません。(苦笑)また説明文には、
中町三番町山車(やま)、〇亀山市指定有形民俗文化財、指定年月平成三年三月二十三日、「関の曳山」は、旧東海道関宿に江戸時代の元禄年間(一六八八〜一七〇三)から伝わるお祭りです。最盛期には十六基もの山車があり、
横幕・見送り幕・提灯などを豪華に飾りつけて華美を競い合い、また、笛太鼓で祭囃子を奏でながら、家々の軒先をかすめ、人ごみをかきわけて巡行する様から、「この上は無い、精一杯である」という意味で用いられる「関の山」という
言葉の語源になりました。現在、木崎町・大裏町(北裏)・中町三番町・中町四番町の四基の山車が保存されており、祭りは、毎年七月下旬の土・日曜日に開催されています。
中町は関宿の中央部で、江戸時代には、街道沿いに最も西の一番町から順に六番町まで、また、大裏町(北裏)、南裏をあわせて八基の山車がありました。中町三番町山車は、白木造りで、天場高欄下に龍の彫刻が施されていて目を引きますが、
全体は質素なつくりになっています。電線が設置された大正四(一九一五)年、巡行の支障になることから、最上層にあたる天障子が撤去されていましたが、平成十四年の大修理の際、これを復原しました。また、山車の周囲を飾る紅提灯には、
三番町の「三」の文字を図案化して用いています。見送り幕は、「昇龍・降龍」の図柄で、嘉永年間(一八四八〜一八五三)に製作されたと伝えられています、とあります。
32)岩木屋吉澤家木板(旧):山車の向い、左手、徒歩40分、道路南側
今回は見当たりませんでした。あるいは撤去されたのでしょうか? 屋号を岩木屋と称し、酒造業及び味噌醤油醸造業を営み、とありました。
33)川北本陣跡石碑:岩木屋の先、右手、同分、道路北側
関宿には川北本陣と伊藤本陣の二軒の本陣が有りました。前述した様に、川北本陣の遺構は先の山門だけです。
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