東海道バーチャルトリップ

(47)関宿
最寄りの駅はJR関駅です。東の追分へ行くには出口で降りて関駅前交差点を渡り北に歩き、旧道交差点(〜関宿中町バス停付近、右手前居酒屋くらぞう)を右折し東に歩きます。
広重の版画には、幔幕と人が賑やかな、明け方近くの大名行列出立の様子が描かれています。写真は、西の追分に掲載されている浮世絵です。キャプションに、「明けやらぬ早朝、伊藤本陣を出立する大名行列」とあります。



JR関西本線の前身が関西鉄道である事は先に述べた通りですが、この会社は同線のみならず草津線、片町線、紀勢本線、桜井線、和歌山線、奈良線、大阪環状線の前身でもあります。
一方、旧東海道は三雲駅辺りから草津線と別れ、関駅で再び関西本線と合流します。鉄道は急勾配な鈴鹿峠を避けて、比較的穏やかな加太越(かぶとごえ、〜大和街道)を選んだ訳です。
Wikiには鈴鹿峠が開かれる前は東海道が走っていた、とありますから、所謂先祖返りなのでした。では何故、関は坂下に置かれなかったのでしょうか?
鈴鹿関(すずかのせき)は越前愛発関(えちぜんあらちのせき)、美濃不破関(みのふわのせき)と並び古代三関あるいは律令三関と呼ばれています。鈴鹿関が登場するのは670年です。

鈴鹿関が在った場所は長い間不明で、平成17年度に初めて鈴鹿関跡が発見されました。関町新所(関宿地蔵院近く)で、古代瓦が堆積した場所(〜西城壁)を発見しました。
また追分とは、道が左右に分かれる所です。関宿東の追分からは伊勢別街道が、西の追分からは大和街道が分岐します。関には確かに堅固な要塞も必要ですが、人の往来も必要ですよね?
人が通らない場所を警護しても、意味が有りませんから。では何故、本陣早立なのでしょうか? そして版画の大名行列は東と西のどちらに向かうのでしょうか?
某回答には「勝手の分からない宿に暗くなってから着きたくはない」とありましたが、ガイドが思うに一つは時間的余裕、もう一つは街道/提灯歩行の安全性、最後は経済性です。

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