東海道バーチャルトリップ
1)東の追分:左手、道路南側
此処から参宮道(伊勢別街道)が分岐します。鳥居を潜る、写真右側の道がそれです。
写真、亀山宿側から順に、カーブミラー、くすんだ高札、その奥に常夜燈、道路を跨ぐ石の大鳥居。グラフィックソフトを利用して高札の表示を確認すると、右に説明文、左に周辺図が描かれています。説明文には、
亀山市関宿重要伝統的建造物群保存地区、昭和59年12月10日指定、東の追分、関が歴史に登場するのは、7世紀このちに「鈴鹿関」が設けられたのがはじめてで、これが地名の由来ともなっています。
慶長6年(1601)徳川幕府が宿駅の制度を定めた際、関宿は東海道五十三次で四十七番目の宿場となり、問屋場や陣屋なども整えられました。古文書によると天保14年(1843)には家数632軒、本陣2、脇本陣2、
旅籠屋42があったとされ(東海道宿村大概帳)鈴鹿峠を控えた東海道の重要な宿駅として、また伊勢別街道や大和街道の分岐点として、江戸時代を通じて繁栄しました。
ここ東の追分は伊勢別街道の分岐点で鳥居は伊勢神宮の式年遷宮の際、古い鳥居を移築するのがならわしになっています。江戸方への次の宿は亀山宿です。道標には外宮(伊勢神宮)まで15里(60キロメートル)と刻まれています。
とあります。
伊勢神宮は俗称で、正式名は神宮です。また移築する鳥居は、内宮宇治橋南詰の鳥居の様です。内宮が天照大神を祀り、外宮が豊受大御神を祀っています。
2)東の追分高札と常夜燈/東の追分:左手、道路南側
高札の左の柱には〇(〇+く)、暗い道、ほのかに照らす 常夜灯、関宿かるた、右の柱には〇(〇+の)、のんびりと、旅人休む 一里塚、関宿かるた、の札が貼られています。
後ろに建つ常夜燈は胴が石製、屋根が青銅製です。
3)常夜燈の裏側/東の追分:左手、道路南側
胴の右正面には、・・・元文五庚申歳正月手板組中、とあります。元文(げんぶん)五年とは、1740年の事です。
→次の頁