東海道バーチャルトリップ

127)臨済宗東福寺派醫王山淨福寺:左折すると、右手、徒歩198分、道路北側

旧道右手に同寺が在ります。手前、坂下宿側から順に、醫王山淨福寺説明板(写真右外)、西国・・・石碑、石柱門、東海道猪鼻村説明板(写真左外)、子葉/大高源吾句碑(同)、です。
門の右側には醫王山淨福寺の札が貼られており、門を潜ると右手に鐘楼があり、正面は本堂です。淨福寺説明板の説明文には、
淨福寺は、天正年間(一五七三〜一五九一年)に、僧洞成禅照大禅師(どうせいぜんしょうだいぜんし)が開基した。本尊は、薬師如来座像で伝教大師の作仏といわれ、近江源氏である佐々木氏の守仏と伝わっている。木造秘仏で右手は
施無畏(せむい)、左手に薬の壺を持ち、脇侍には左に日光菩薩、右に月光菩薩。更に眷属十二神将が十二時かわるがわる本尊の守護に努めている。薬師如来は、十二の大誓願を発して、除病延寿、衣食満足、無病息災の東方浄瑠璃
浄土の主尊である。醫王山とは、法を説いて人の悩みを癒す仏で菩薩を医師に例えた語です。)淨福寺の御詠歌、まいりきてめぐみをうけよ淨福の、薬師の利やくあらたなりけり、平成二十年十二月設置、令和六年十二月改修、臨済宗東福寺派
醫王山淨福寺、とあります。

128)東海道猪鼻村説明板と子葉/大高源吾句碑/同寺:門の左側、徒歩199分

旧道左手、門の先に同説明板と同句碑が建っています。説明板の説明文には、
猪鼻村は、鈴鹿山脈の西方に位置し、中世は鈴鹿山警護役であった山中氏の支配を受け、近世は幕府領や諸藩領となり幕末にいたる。村中を東海道が東西に五町三十六間余(約六一〇メートル)、商いを営む者も多く、往時五十戸を超え
街道を賑わしていた。土山宿から坂下宿間の立場(休憩所)があり、草餅や強飯(こわめし)が名物であった。村高は、五十三石余「天正十九年(一五九一年)徳川家康知行目録写」、おもな産業は農業で、製茶や林業も行われた。
赤穂浪士の一人で俳人の大高源吾(俳号は子葉)が旅の途中に詠んだ「いの花や早稲のもまるゝ山伐ろし」の句碑がある。井上士郎の『幣袋(ぬさふくろ)』に安永三年(一七七四年)鈴鹿峠に向かう途中で「猪鼻峠という名のをかしければ、
ゐのししの鼻吹き返せ青あらし・・・」とある。寺院は、臨済宗東福寺派の淨福寺、集落の東端には火頭古(ひずこ)神社があり、本殿は十七世紀後半の造営とされ、国登録有形文化財となっている。明治二十二年猪鼻村は町村制により甲賀郡
土山町大字猪鼻、平成十六年十月一日合併により甲賀市土山町猪鼻となる。平成二十年十二月、土山町猪鼻区、とあります。

句は、鼻や下の字を避けたのがオシャレです。(笑)

129)三つの石碑:寺の先、右手、徒歩202分、道路北側

左手民家の庭先に手前から順に、旅籠中屋跡石碑、明治天皇聖蹟石碑、黒い大きな石碑が在ります。大きな石碑は、天皇滞在を説明している様です。

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