東海道バーチャルトリップ

88)文化の道「東海道宿場散歩みち」案内板と明治用水説明板:道祖神の先、左側歩道、反対側、道路南側

前回来た時は文化の道案内板は有りませんでした。新成された様です。新日本歩く道紀行100選文化の道「東海道宿場散歩みち」、とあります。新日本歩く道紀行100選とは・・・、とあり、その説明文には、
平成27年11月に、無量壽寺〜知立神社を結ぶ、全長5.6kmのルートが「新日本歩く道紀行100選文化の道 東海道宿場散歩みち」に選定されました。新日本歩く道紀行100選とは、全国のウォーキングルートから10のテーマでそれぞれ
100ルートが選定されるものです。選定されたルートは、魅力あるウォーキングルートとして全国のウォーカーに紹介されます。今回は、「文化の道」のテーマで選定されており、歴史や文化を感じる見どころが多くあります。皆さん是非歩いてみて
ください、とあります。そのルートとは、始点@無量壽寺・かきつばた園、A明治用水緑道、B元禄の道標、C東海道松並木、D本陣跡、E山車蔵、F知立古城跡、終点G知立神社、です。また、池鯉鮒の馬市についての説明も為されています。

明治用水説明板は以下の3つの部分から成り立っています。左上から順に、現在の明治用水西井筋、周辺図、東海道松並木です。西井筋には断面図と説明文があり、この遊歩道の下には明治用水西井筋が流れています。埋められているパイプは
直径150センチで、農地のかんがいに必要な水を下流に送っています、とあります。周辺図には松並木、山屋敷用水碑、元禄の道標、現在位置、中央青果市場、名鉄名古屋本線、明治用水西井筋、旧東海道などが記載されています。
説明文には、江戸時代東海道池鯉鮒宿は品川宿から数えて39番目に当たる宿駅で、江戸日本橋から84里17丁(約330km)あり、京都までのほぼ3分の2の地点にありました、とあります。
松並木の説明文には、徳川家康が江戸に幕府を開いたとき、禁裏のある京都と江戸間の交通を重視し、東海道を整備したのは慶長九年(1604年)のことである。当時幅二〜四間(3.6〜7.2メートル)の道は随分の大道であったに違いない。やがて
参勤交代が始まり、遂年交通量は増えてきた。そのため寒暑風雨から旅人を守るため、中国の古例にならい両側に松木を植えたものである。知立の松並木は、近年まで牛田町から山町まで約1キロ続いていたが、住宅が次々と建てられて今では
450メートル程になってしまった。戦前までは、昼なお暗いほど老樹が鬱蒼としていたが、昭和34年の伊勢湾台風により60〜70%の松が折られたり、根ごと吹き倒されてしまった。昭和45年、幼松158本を捕植し、以後毎年松食虫の防除に努め、
昔の姿を今にとどめています、とあります。まあ此処ならば、松並木が通行の障害と成る事も無いでしょう。(苦笑)

89)かきつばた姫モニュメント:案内板の先、左側歩道、反対側、道路南側

かきつばた姫は女性座像です。台座には、かきつばたのパネルが貼られています。パネルの上部には国宝「燕子花屏風」尾形光琳(複製)の写真が飾られ、その下の説明文には、八橋のかきつばたは、平安の歌人在原業平が伊勢物語「かきつばた」
を折り込んで歌を詠んだといわれ有名です。また、江戸時代尾形光琳が描いた国宝『燕子花屏風』は伊勢物語九段「八橋」の場面を描いたとされています。かきつばたは知立市の花として親しまれており、八橋町にある「八橋かきつばた園」では、
4月末から5月末までの間、かきつばたが咲き誇る“かきつばたまつり”が開催されています、とあります。ちなみにガイドが卒業した高校も、この業平とは縁が有ります。(笑)またモニュメント左手前の石板には、
かきつばた姫、永井はな子、伊勢物語に想いを馳せながら、古代から凛として咲き誇るかきつばたの精神性を、昔ながらの宿場町から近代的な町へと移り変わっていく知立と重ねあわせて、かきつばたが美しく成長している様子を表現しました、とあります。

90)一茶句碑:モニュメントの先、左側歩道、車道側、徒歩511分、道路南側

はつ雪や ちりふの市の 銭叺。銭かますとは、わら製の銭入れです。

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