東海道バーチャルトリップ
25)岡崎宿東海道二十七曲り案内板:屋敷の先、左側歩道、車道側、徒歩46分、道路南側
御馳走屋敷の先、左側歩道の車道側に同案内板が有ります。二十七曲りの図の中では、これが一番分かり易い。案内板の下部に案内図が描かれており、@二十七曲りの碑、A東本陣跡(現在花屋)、B西本陣跡(現在映画館)、C道標、
D籠田惣門跡の碑、E二十七曲りの碑、F岡崎藩校允文館・允武館跡、G松葉惣門跡が紹介されています。また上部の説明文には、
徳川家康が関八州の太守として駿府城から江戸に入ったのが天正18年(1590)8月。同年の10月には、田中吉政が岡崎城に入場して城下の整備にとりかかりました。吉政は、矢作川に初めて橋をかけ、生川の南にあった東海道を城下へ
引き入れました。城下の道は、防衛の意味から屈折しているのが常で、岡崎はその典型でした。これが二十七曲りです。しかし、徳川の安定政権が続くと防衛の意味もなくなり、城下町・宿場町として栄えていきました、とあります。
26)籠田惣門:案内板の先、同、徒歩47分、道路南側
石像には門とその門を守る門人二人が彫られ、胴には籠田惣門の文字も有ります。説明文には、
田中吉政の時代、岡崎城の周囲は川の流れを取り入れた堀で囲われたとされる。籠田惣門は現在の籠田公園前、西岸寺辺りにあった。門の前に外堀があり、そこから西は岡崎城内となる。惣門は東海道が城郭内に入る出入口にあたり、籠田惣門は
東の門であった。西は現在の中岡崎町に松葉惣門があった。二十七曲と呼ばれた東海道は伝馬町を経てこの籠田惣門から北に曲がり現在の籠田公園を抜け、連尺町へとつながってゆく。岡崎では東海道は東西から城下まで導かれていたわけである、
とあります。
27)左折地点/伝馬通1丁目交差点:惣門の先、左手、同分、道路南側
交差点の左手前には、金の草鞋ポスト〇(〇+ほ)が在ります。旧道は此処を左折します。そしてここが、27曲りの4回目なのです。
ポストの正面には←|60m〇(〇+ほ)これより次の六地蔵下り口〇(〇+へ)まで、左側面には↓−60m、→660m〇(〇+ほ)東海道・・・、右側面には←660m、−↑60m〇(〇+ほ)東海道・・・、裏面には↑660m〇(〇+ほ)
これより次の伝馬町角〇(〇+に)まで、とあります。ガイドは伝馬通りの右側歩道の石像をも調べる為に此処を右折し、横断歩道を渡ります。
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