東海道バーチャルトリップ
28)東海道岡崎宿西本陣跡石碑/伝馬通1丁目交差点:横断歩道を渡ると、交差点右手前、徒歩49分、道路北側
同石碑が交差点の右手前、ミニストップ/コンビニの前に在ります。裏面には、昭和五十八年六月、筒井弘建之、とありますから、個人の建立でしょうか?
此処からガイドは、伝馬通りの右側歩道を東に戻ります。
29)本陣・脇本陣:石碑の先、右側歩道、車道側、道路北側
石像には駒に乗った武士と屋根付瓶?が彫られ、胴には本陣・脇本陣の文字も有ります。この辺りネタ不足でしょうか?(苦笑)説明文には、
参勤交代時代から大名や公用旅行者の宿泊所を本陣・脇本陣と呼ぶようになった。伝馬の本陣は正徳三年(一七一三)頃は中根甚太郎、浜島九右衛門の二軒であったが、後に中根甚太郎、服部小八郎、大津屋勘助の三軒が本陣、脇本陣は
鍵屋定七、山本屋丑五郎、桔梗屋半三郎の三軒と推移している。岡崎東本陣(服部家)は現在の伝馬通り二丁目交差点辺りにあり建坪二百九坪で部屋は二百畳以上、脇本陣を勤めた桔梗屋は総坪数百二十五坪半のうち建坪百五坪とどちらも
玄関や書院を持つ豪壮な建物であった、とあります。
30)駒牽朱印:本陣の先、同、道路北側
石像は四角い形をしていますが、あるいは同朱印の印章を表しているのでしょうか? 胴には駒牽朱印の文字も有ります。説明文には、
慶長六年(一六〇一)、徳川家康は以前からあった駅馬・伝馬の制度を踏襲して東海道の宿駅ごとに馬と人足を常置させた。その負担をするのは各宿駅の「伝馬役」である。この岡崎に限らず各地に伝馬の地名が残っているが、それらは江戸時代に
伝馬役を務めた町であることが多い。「駒牽朱印(こまびきしゅいん)」は徳川幕府が公用に伝馬を使用する時に用いた権威ある印鑑で、この印が押された朱印状が公用旅行者の伝馬使用許可証となる。「伝馬」の文字と馬を引く人物がデザインされた
趣のある印である、とあります。
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