東海道バーチャルトリップ

22)三度飛脚:継立の先、左側歩道、車道側、徒歩45分、道路南側

石像には飛脚が彫られており、胴には三度飛脚の文字も有ります。説明文には、
伝馬宿の中心地の住人の中には飛脚屋という職業の人間もいた。飛脚は現在でいう郵便配達人にあたり、あずかった通信書状などを入れた箱をかつぎ、敏速に目的地に届ける役目をしていた。こうした逓信業務を行う人間が何人か住んでいるところは
いかにも宿場らしい。飛脚には公用の継飛脚、諸藩専用の大名飛脚の他、一般用の町飛脚があり、三度飛脚というのは、寛文三年(一六六三)に開業した町飛脚で、毎月、東海道を三度往復したことからそう呼ばれた、とあります。
東海道は十四日間の旅と言われますから、(継立にしても)三度(片道6回)はすごいと思います。

23)塩座:飛脚の先、同、徒歩46分、道路南側

石像には、水面を行く船が彫られ、胴には塩座の文字も有ります。説明文には、
塩座というのは塩を専売する権利のことで、岡崎では伝馬町と田町が権利を有し、伝馬町では国分家などが商いをしていた。矢作川を上る塩船は岡崎で差し止めて上流への通行は禁止、塩荷物は宿場を通させないなど塩の管理は厳しいものであったが、
実際には抜け荷もあり、しばしばトラブルもあった。上がってきた塩は審査の後、馬に乗せかえられ、足助街道を北上する塩の道へも運ばれた。他に茶座、魚座、煙草株などがあるが、商いをするものは座銭を収め、座銭は町の開発や宿の助成などに使われた、
とあります。規制が多い経済は、発展を阻害されますよね?(苦笑)足助(あすけ)街道とは、岡崎城下の能見口より東海道と別れ、北上して岩津・桑原・松平を経て足助(豊田市)に至る街道、とあります。

24)御馳走屋敷:塩座の先、同、徒歩47分、道路南側

石像には、魚の盛付けが彫られ、胴には御馳走屋敷の文字も有ります。煮魚でしょうか? 説明文には、
現在の岡崎信用金庫資料館南辺りに御馳走屋敷という屋敷があった。文政九年の「家順間口書」によると間口が十五間以上もある立派なものであった。御馳走とは接待を意味する言葉で、この屋敷は公用の役人などをもてなす、いわば岡崎藩の迎賓館的な
役割を持っていた。公用旅行者の格式によって接待方法も違うが、特に勅使や宮様、御三家、老中、所司代、お茶壺、朝鮮通信使などの高位高官の一行が岡崎宿を利用する際の接待には岡崎藩から家老がこの屋敷に出向いて丁重にあいさつしたという、
とあります。

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