東海道バーチャルトリップ

4)左折地点/若宮町2丁目交差点:右折からすぐ、左手、徒歩3分、道路西側

交差点左奥には手前右側から順に、波型モニュメント、金の草鞋ポスト〇(〇+い)、その奥右から順に道標、岡崎城下二十七曲り説明石板が有ります。

5)波型モニュメント、金の草鞋ポスト〇(〇+い)、道標、岡崎城下二十七曲り説明石板/同交差点:交差点左奥、同分、道路西側

金の草鞋ポストの頭頂には、金の草鞋が一足置かれています。このポストの表示も更新されています。「金の草鞋を履いて探す」の意味は、努力を惜しまず、辛抱強く、またはお金をかけて探し求める、だそうです。(by AI)
ポスト正面には←650m、−↓140m、〇(〇+い)東海道岡崎城下二十七曲り、右側面には↑650m〇(〇+い)次の両町角まで、左側面には|→140m〇(〇+い)これより欠町・南冠木門まで、裏面に文字は有りません。
ですから二十七曲りではこのポストが案内係です。また二十七曲りならば、このいろは文字は「い、から、お」迄ある筈です。(笑)

また波型モニュメントが此処に置かれている理由は不明ですが、左の2個は黒、右の2個は白、奥の2個は肌色と成っています。
道標の表面には岡崎城下二十七曲、欠町より投町角岡崎城東入口と彫られており、裏面には天正十八年岡崎城主田中吉政は城下の東海道を二十七曲にし、防備堅固を図った、ここに標識を建て郷土再見の一翼とする、
昭和五十六年三月、岡崎中央ライオンズクラブ建之、葵水書、とあります。

また説明石板の説明文には、江戸時代の岡崎の町は東海道の宿駅として栄えましたが、市民病院跡地である若宮町の当所は、岡崎宿内の東端に位置する投町(なぐりちょう)と呼ばれた場所でした。
東海道の往還は、当所の南で欠村から宿内に入り、この位置で西方へと大きく曲がり、宿内の中心へと進みます。その曲折点は岡崎城下二十七曲がりの一つに数えられます。
十九世紀初頭の記録である「享和書上げ」によると、投町には総家数一一七軒とあり、綿打商、穀商、紺屋、豆腐屋、古手屋、莨(たばこ)屋、酒屋、小間物屋、綿商などの店が軒を並べていましたが、なかでも茶屋が多くあり、
茶屋で売られていたあんかけ豆腐の「あわ雪」は東海道往来する人に当宿の名物として賞翫されました、とあります。そしてここが、27曲りの1回目です。

6)右曲り地点/両町3丁目交差点:ポストの先、右手、徒歩10分、道路北側

旧道は両町3丁目交差点で少し右に曲がります。交差点右手前には、金の草鞋ポスト〇(〇+ろ)が有ります。
正面には↑310m〇(〇+ろ)これより両町角〇(〇+は)まで、右側面には〇(〇+ろ)東海道岡崎城下二十七曲り、左側面には〇(〇+ろ)東海道岡崎城下二十七曲り、裏面には↑340m〇(〇+ろ)これより若宮町角〇(〇+い)まで、
とあります。

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