東海道バーチャルトリップ
52)白い砂利道(旧):籠田公園内、徒歩69分
以前公園内には、旧道を示す細い砂利道が敷かれていました。
53)籠田惣門角常夜燈と道標:横断歩道の先、徒歩70分
横断歩道を渡り旧道モニュメントを進むと、右手に常夜燈と道標が在ります。この常夜燈は以前は存在せず、また道標の方は以前は籠田公園北西交差点の左手前に置かれていました。
常夜燈の正面には籠田惣門角常夜燈由来記が置かれており、その説明文には、
天正十八年(一五九〇年)徳川家康の関東移封により、田中吉政が岡崎城主となり総堀を築き城下町としての整備をはかる。慶長六年(一六〇一年)伝馬の制定により東海道の往来も激しく次第に殷賑をきわめるようになり寛文十年(一六七〇年)
籠田総門が設けられる。時は徳川泰平の世に移り町並はさらに整備され町内旅人のため要所に常夜燈が建立された。この常夜燈は寛政十年(一七九八年)岡崎城下三番目のものとして石工、七左衛門作により籠田総門付近に建立され町内と
旅人往来安全の灯として、市井の人々に愛され温かく守護され続けてきたものである。大正時代に旧市役所(現電報電話局)北側に移転し幸いにも昭和二十年七月二十日未明の岡崎空襲の災禍を免れ、昭和二十五年戦災復興事業により整備された
篭田公園の一角に再移転、さらに昭和五十六年四月籠田公園地下駐車場の新設により装いも新たにこの地に再建された。城下町交通の遺物として茲に後世のためその経緯を記すものである。昭和五十六年十一月吉日、籠田町有志一同、とあります。
常夜燈の胴の表には秋葉山常夜燈と、裏には寛政十年戌年五月吉日、と彫られています。
また道標の正面には、岡崎城下二十七曲、篭田町より連尺町角、裏面には天正十八年岡崎城主田中吉政は城下の東海道を二十七曲にし防御堅固を図った、ここに標識を建て郷土再見の一翼とする、昭和五十六年三月、岡崎ライオンズクラブ建之、
蓬?村書、とあります。
54)左折地点/籠田公園北西交差点:公園内を歩き、徒歩70分
旧道は此処を左に折れます。旧道は写真左奥の道(連尺通り)です。そしてここが、27曲りの9回目です。
この交差点も順路案内が弱い場所で、ガイドも前回来た時には曲がり間違えています。
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