東海道バーチャルトリップ
37)市隠亭:一里塚の先、右側歩道、車道側、道路北側
石像には本を開いている識者が彫られており、右手には硯が、左手には巻物三巻が置かれています。胴には市隠亭(しいんてい)の文字も有ります。説明文には、
伝馬町の塩商人、国分家は代々学問を好み、国分次郎左衛門衡(伯機)は岡崎藩の儒学者、秋元嵎夷に詩文を学び、屋敷内に「市隠亭」という書斎を作った。ここでは岡崎だけでなく、旅行者など多くの文化人たちの交流が行われ、市隠亭は文化サロン的
役割を果たした。その中には民俗学の先駆者、菅江真澄もいた。主に漢学や漢詩と親しみ、その蔵書も多く、庶民レベルを超える高い文化が身分を問わず広く温められた。他に伝馬の旅篭、柏屋の主人金沢藤右衛門も金沢休と名乗り、文人として活躍した、
とあります。
38)旅篭屋:亭の先、同、道路北側
石像では旅人が笠と草鞋を脱ぎ、足を洗っており、胴には旅篭屋の文字も彫られています。また説明文には、
天保年間(一八三〇〜一八四三)の記録によれば岡崎宿には伝馬町を中心に本陣三軒、脇本陣三軒、旅篭屋(現代の旅館)が百十二軒あったとされ、東海道五十三次中三番目の規模を誇る宿場であった。旅篭屋はその規模によって大宿、中宿、小宿と区分され、
その他にも庶民が泊まる木賃宿、休息をする茶屋もあった。正保・慶安の頃(一六四四〜五一)からは飯盛女という遊女を置く旅篭も現われ(以降岡崎は岡崎女郎衆で有名な職場ともなった)、庶民の旅行が増え始めた江戸中期ごろになると各旅篭とも競争が
激しかった、とあります。
39)旧道の風景:石像を鑑賞し終えて
これで伝馬通りの石像は全て終了です。先の左折地点、伝馬通1丁目まで戻り、左折して横断歩道を渡ります。街路灯も独特な形をしています。LED照明は小型でしかも融通が利きますから、これからは楽しみですよね?
またSUS板の説明文も風雨に晒されたせいか?、以前よりも読易く成っていました。(それとも技術革新?、笑)
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