東海道バーチャルトリップ
31)二十七曲:朱印の先、右側歩道、車道側、道路北側
石像には座した旅人が彫られ、胴には二十七曲の文字も有ります。説明文には、
東海道の中でも三番目に規模の大きい宿場として栄えた岡崎宿は、「岡崎の二十七曲がり」と呼ばれ、屈折の多いその町並の長さでも有名であった。天正十八年に岡崎に入城した田中吉政は城下の道を防衛の必要性から外的には城までの距離を
伸ばし、間道を利用して防衛することができる屈折の多い道として開発した。二十七曲がりは欠町、両町、伝馬通から籠田を抜け、連尺通、材木町、田町、板屋町、八帖町、矢作橋とつながっており、二十七曲がりを示す碑が現在の町並にもいくつか
置かれている、とあります。
32)矢作橋:曲の先、同、道路北側
石像には橋を渡る駕篭かきが彫られ、胴には矢作橋の文字も有ります。説明文には、
矢作橋は公儀普請の重要な橋であり、岡崎宿を行く旅人にとっても、まだ見ぬ岡崎を思い浮かべる人々にとっても街道一の規模を誇るこの橋の勇壮さは関心の高いものであった。広重の東海道五十三次「岡崎」にも描かれ、東海道を行く当時の紀行文や
道中日記には必ずといっていいほど矢作橋が登場する。ドイツ人ケンペルは「江戸参府紀行」で、スウェーデン人ウィルマンは「日本旅行記」の中で矢作橋の大きさを記述し、岡崎宿を訪れた朝鮮通信使の日記にも登場するなど外国人にとっても印象深い
ものであった、とあります。一種の国威発揚ですね。(笑)
33)あわ雪茶屋:橋の先、同、道路北側
石像には団子を食べお茶を飲む旅人が彫られており、胴にはあわ雪茶屋の文字も有ります。説明文には、
江戸時代の岡崎の名物といえば、石製品、八丁味噌、鍛冶物、木綿などが挙げられるが、名物の食べ物といえば「淡雪豆腐」が挙げられる。ト字、あわ雪茶屋で出されていたのは葛や山芋をベースにした醤油味のあんをかけた「あんかけ豆腐」で、
岡崎宿を通行する旅人に親しまれていた。天保十三年の記録に「茶飯壱膳、あハ雪豆ふ・香之物付弐拾文、引下ケ拾八文」とあり、ご飯、おしんこ、淡雪豆腐のセットメニューで十八文であった。現在のあわ雪は江戸時代の淡雪豆腐にちなんでつくられた
お菓子である、とあります。
→次の頁