東海道バーチャルトリップ
31)笠覆寺西門/三叉路:交差点右、道路東側
右手鳴海宿側から順に、笠覆寺立札、御寶前と彫られた石灯籠、笠寺観世音と彫られた石灯籠、肌色の石で出来た円柱、尾張四観音之一笠寺観世音寺碑、赤い幟、瓦葺の山門、赤い幟、尾張西国第拾五番笠寺観世音寺碑、笠寺観世音と彫られた石灯籠、
都市景観重要建築物等石板が有ります。立札の説明文には、天林山と号し、真言宗。俗に笠寺観音の名で知られ、尾張四観音の一つである。天平年中(七二九〜)禅光上人の開基で、十一面観世音を安置する。初め小松寺と称したが、延長年中(九二三〜)
藤原兼平が堂宇を再興し、今の寺号に改めた。のち再び荒廃したが、嘉禎四年(一二三八)僧阿願が朝廷に願い出て、宣陽門院庁より田畑の寄進を受け堂塔を建立した。当寺には重要文化財・県指定文化財多数がある。名古屋市教育委員会。
円柱には笠寺観音、→笠寺一里塚、とあります。赤い幟には、奉納南無十一面観世音菩薩と記されています。石板には、「笠覆寺(笠寺観音)仁王門・本堂・多宝塔・鐘楼・西門」、この建造物は、市民のみなさまに親しまれ、すぐれた景観をつくる上で
重要な存在となっていることから、条例にもとづき都市景観重要建築物等として指定されました。平成四年十月、名古屋市、とあります。
仁王門は南側太鼓橋の先に、本堂は境内の中心に、多宝塔は本堂と西門との間に、鐘楼は仁王門の東側に在ります。
32)直進地点/笠寺西門交差点:左折からすぐ、徒歩193分
交差点の右手前(写真右側)と左奥には、笠寺と彫られた街路灯が置かれています。
33)笠寺の歴史説明板/同交差点:交差点左手前、同分、道路南側
上は版画に下は説明板に成っています。かなり黒ずんでいますが説明板には、江戸時代の笠寺村は、東海道第四十番目の宿場である鳴海から熱田宿を結ぶ東海道筋にあたり、農業を主な業とし、町並みには、小商家、茶屋などがあった。
笠寺観音は、尾張四観音の一つとして人びとにも親しまれ、今の節分などには露店が並ぶにぎわいを見せている。寺伝によれば、笠寺観音はもと小松寺といい、天平五年(七三三)浜に流れ着いた霊木に僧禅光が十一面観音像を刻み、小堂を建てて
安置したことに始まる。その後荒廃し、仏像が雨露にさらされているのを見た土地の娘が、自らの笠をかぶせた。この娘はやがて藤原兼平の妻となり、その縁によって兼平は堂舎を再興した。これが笠覆寺の名の由来となる。寺はその後再び荒廃したが、
嘉禎四年(一二三八)僧阿願が再興した。現存する建物は、正保年中(一六四四〜四八)に建った多宝塔を最古とし、本堂は宝暦十三年(一七六三)の建立で、その他江戸時代の各時期に建った仁王門、西門、鐘楼、護摩堂及び大師堂などが軒を列ね、
密教寺院の特色をよく示している。また、笠寺観音境内には、笠寺千鳥塚、春雨塚といった芭蕉碑も残されているほか、笠寺観音から東南約六百メートルの旧東海道沿いに、市内に現存する唯一の一里塚がある。平成3年名古屋市、とあります。
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