東海道バーチャルトリップ
19)石灯籠、石鳥居と拝殿/根古屋城跡:石段を上り参道を行くと
石段を上り史蹟鳴海城阯石碑の手前を左折すると、胴に成海神社と彫られた石灯籠が一対、その先に石鳥居、石鳥居を潜ると短い石段があり、石段を上ると参道右手に鳴海城跡立札、その先に鳴海城址碑。
参道正面には注連縄が飾られた拝殿があり、その右側には大きな成海神社御旅所竣工記念碑が、左側には芭蕉句碑も在ります。立札の説明文には、根古屋城ともいい、応永年中(一三九四〜)安原宗廼範の築城といわれる。
永禄三年(一五六〇)桶狭間の戦いでは、今川方の猛将岡部元信がこの城に配され、義元が討たれた後も最後まで立てこもって奮戦した。その後、佐久間信盛、正勝らが城主となったが、天正十八年(一五九〇)廃城となったと伝えられる。
『尾張志』は東西七五間、南北三四間で四面に堀跡、本丸と二・三之丸にも堀を残すと記している。名古屋市教育委員会。
20)芭蕉句碑/根古屋城跡:拝殿の左側
拝殿の左に、芭蕉句碑が置かれています。杜若(かきつばた) われに発句の おもひあり、芭蕉。この句は後述する様に、鳴海の地に関係した句です。また発句とは連歌の最初の句です。
21)東海道鳴海宿高札場(復元):城を罷ると、右側歩道、車道側、徒歩45分、道路北奥
右側歩道車道側に、高札場の復元模型が在ります。模型の左下には東海道鳴海宿高札場(復元)説明板が貼られており、説明板の右側には携帯電話での案内情報、その左に東海道鳴海宿、副題に松尾芭蕉と鳴海、その左に周辺の宿場町、とあります。
また説明文には、東海道鳴海宿では、江戸時代、宿場の中央にあたる東海道と鳴海駅前通りの交差点東北角に大きな屋根付きの高札場が作られ、高札が表示されていました(ここより南に約70mの場所)。この高札場の図面や絵図などは残されていませんが、
東海道宿村大概帳によると、高さ二間二尺、長さ三間、幅一間との記述が残されています(一間:約180cm、一尺:約30cm)。また、当時の高札八枚が名古屋市博物館に保管されています。宿場間の駄賃や人足賃を示した高札は、
宿場町ならではのもので、当時の様子をうかがい知ることができます。現存する鳴海の高札、高札場には、現存する鳴海の高札8枚のうち@〜Dの5枚のレプリカを掲出しています、
@太政官高札:慶応4年(1868)「徒党・強訴・逃散を禁ず」、A太政官高札:慶応4年(1868年)「外国人への乱暴を禁ず」、B江戸幕府高札:正徳元年(1711年)「キリスト教を禁ず」、C江戸幕府高札:慶応3年(1867年)
「駄賃人足賃を記す」、D太政官高札:慶応4年(1868年)「五倫の道を記す」、E太政官高札:慶応4年(1868年)「逃散を禁ず」、F太政官高札:慶応4年(1868年)「キリスト教を禁ず」、G行政官高札:慶応4年(1868年)
「金札の流通の妨げを禁ず」、高札の実物は名古屋市博物館に保管されています、この高札場は、2009年11月に復元されました、鳴海宿高札場復元実行委員会【緑区ルネッサンスフォーラム/鳴海商工会/緑区役所】、とあります。
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