東海道バーチャルトリップ

16)3枚の道標と史跡散策路鳴海宿コース案内板:寺を罷ると、左側歩道、車道側、徒歩43分、道路北奥

誓願寺を罷り左側歩道を北(左)に歩くと、車道側に建っています。道標は上から順に、円龍寺→50M、鳴海城跡公園←|150M、根古屋城跡→70Mで、史跡散策路鳴海宿コース案内図は風化が進み、一部が剥がれていました。
同案内図には、問屋場跡、高札場跡、本陣跡、根古屋城跡、雷矢切貝塚などが紹介されていました。

17)根古屋城(鳴海城)跡/ト字路:案内板の先、交差点右奥、徒歩50分、道路北奥

案内図の先にはト字路があり、交差点右奥には根小屋城跡が在ります。此処に横断歩道は有りませんが道路の交通量が少ないので、注意して渡ります。横断が不安な方は、先の本町交差点の横断歩道を使用しましょう。

18)石段、成海神社創祠天神社社碑、成海神社旧祠天神社由緒高札、笠一対、史蹟鳴海城阯石碑/根古屋城跡:道路を渡ると

石段の右手前には成海神社創祠天神社社碑が、左手前には成海神社旧祠天神社由緒高札が在ります。石段を上ると左右に傘が一対、その先には史蹟鳴海城阯石碑も建っています。境内は石柵で覆われています。由緒書には、
古事記に景行天皇四十年皇子日本武尊東夷を征すとあるがその節鳴海浦のこの地にお立ちになった尊は対岸の火高(現大高)丘陵の尾張氏館を望見して、
鳴海浦を見ねれば遠し火高地に この夕潮に渡らへむかも、とお詠みになった事が熱田神宮寛平縁起に見える、成海神社は是を由縁として天武天皇朱鳥元年尊とその御東征と翼賛した尾張始祖とを併せ祀ってこの所に創建されたのである、
延喜五年制宣の律令書「延喜式神名帳」には尾張国愛智郡成海神社と登録せられ文治二年の「尾張国内新名帳」には従三位上成海天神と称えられて此処に鎮座東海道古名社と尊ばれた、戦国時代当初応永年中足利氏武将安原宗範この地に築城
のため成海神社を乙子山の現在地に奉遷、その後永禄三年桶狭間合戦の際この城は今川氏の重要拠点となったが天正年間織田信長により廃城され後世「鳴海城跡」として史蹟に指定された、
城の鎮守として斎かれた天神祠はそのままこの地に遣り世俗成海神社御旅所と称え祭礼の日古例に則り御神幸あり崖下扇川畔にて御東征の遺意と伝える「御船流神事」に斎行せられる、平成二年十一月、とあります。

由緒を整理すると、東征→成海神社→成海天神→成海神社の現在地(乙子山)への奉遷→築城→鳴海城跡→成海神社の御旅所→現在、となります。乙子山は天神社の北方に在ります。また御旅所とは、山車や神輿が立寄る場所です。
火高には日本武尊の后が住んでいました。また熱田大神宮御鎮座次第本紀には日本武尊東征とその縁故の地、そこに創祀された10の神社が記載されています。そして成海神社も、その中に含まれるのです。

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