東海道バーチャルトリップ
7)千代倉家(旧)/右折地点:交差点右手前、道路東側
前回来た時の写真を掲載しておきます。千代倉家は鳴海の名家でした。
8)左折地点/枡形:右折の先、左手、道路西側
旧道は此処を左折します。右折と左折で枡形を形成しています。
9)東海道の宿場町鳴海宿説明板/緑生涯学習センター:左折からすぐ、左手、道路南側
左手緑生涯学習センターの庭先に在ります。鳴海宿の問屋場は、この辺りに在りました。同説明板は3枚の絵と説明文からなり、3枚の絵は右上から順に、東海道五十三次に描かれている鳴海宿、明治末期の祭礼の様子(写真)と周辺図、
鳴海町から緑区へ、です。説明文には、慶長6(一六〇一)年に徳川家康によって伝馬の制がしかれ、東海道は江戸と西国を結ぶ主要幹線道としていち早く整備されました。愛知県内には9つの宿場が設けられ、その一つがこの緑区鳴海町
の一帯におかれた鳴海宿でした。鳴海宿は休息や人馬の継立の場として1.8キロにわたって栄え、その様子は道中記や紀行文のほか、浮世絵でも伝えられています。また、この地では古くから祭礼が行われてきました。祭礼では各町内の
山車がひき廻され、多くの人々で賑わいました。それらの山車は地域の方々の手で今日まで受け継がれています、とあります。
3枚の絵の方ですが、浮世絵には山甚板(版元の名)とあります。また祭礼では神輿ではなく、山車を引いています。鳴海町から緑区への説明文には、この地には、明治時代より役場公所も置かれてきました。明治22(1889)年の鳴海町制施行後、
明治36(1903)年に鳴海町役場が完成しました。昭和32(1957)年に建て替えた庁舎は、昭和38(1963)年の名古屋市合併以後、緑区役所として使用されました。昭和49(1974)年に区役所は新庁舎に移転しましたが、
この地には昭和52(1977)年に緑社会教育センターが開館しました(平成9(1997)年、緑生涯学習センターに名称変更)、とあります。
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