東海道バーチャルトリップ

10)舞坂宿本陣跡石碑:旧道に戻り右手、徒歩38分、道路北側

右手に大きくて立派な同石碑が在ります。石碑には、この地は東海道舞坂宿宮崎伝左衛門本陣跡で江戸時代 公家・大名・幕府役人などが旅の途中宿泊・休憩したところです。舞阪町教育委員会、とあります。

11)東海道舞坂宿脇本陣:本陣跡の先、左手、徒歩40分、道路南側

入口の左右には瓦屋根が乗ったコンクリート壁があり、右側の壁の手前には黒くて大きな東海道舞坂宿脇本陣石碑が、同壁の側面には東海道舞坂宿脇本陣木板が吊るされています。
その先敷地の右側には、東海道舞坂宿脇本陣説明板高札も建っています。説明板には、

舞坂宿は、慶長六年(一六〇一)の東海道宿駅制度設定に伴い開設された五十三次のうち江戸から三十番目の宿駅で、弘化二年(一八四五)の資料では人口一、二〇四人・戸数二六五戸でした。
また、本陣(宮崎伝左衛門)と相本陣(茗荷屋 堀江清兵衛)がありました。脇本陣は、大名・幕府役人等が本陣で宿泊休憩できない時に利用された施設で、普段は一般の旅籠屋として使われました。
建物は主屋・繋ぎ棟・書院棟で構成され、現構で間口五間・奥行十五間ありました。現在書院棟一棟が残されており、旧東海道宿駅の中では唯一の脇本陣遺構として貴重な建物です。書院棟が
天保九年(一八三八)の建築であることが判明しました。平成九年 舞阪町教育委員会、とあります。

また左側の壁には、舞坂宿脇本陣利用案内板が貼られています。脇本陣は間口の狭い民家風、二階建ての建物で、右端には唐門風の広い入口、左端には狭い入口が有ります。
以前来た時には右側入口には脇本陣提灯が、建屋正面には幔幕が飾られていました。提灯が飾られた右側入口は大名の専用で、庶民であるガイドは左側の入口から入場します。
一階の天井は高く、風通りは良さそうです。一階は町屋の様に奥に長く、途中中庭(坪庭)と奥には庭も有ります。トイレの手前には板張りのお風呂も有り、そのトイレは豪勢にも?、畳敷きです。
二階に昇る階段は昔風のかなり急な階段で、二階は十二畳間と八畳間が一つずつ。八畳間には、大名用?の籠も置かれていました。

12)右折地点/十字路:(脇本陣を見学して)、右手、徒歩48分、道路北側

直進すると旧東海道の本雁木(ほんがんげ)ですが、舟運のアテの無いガイドは此処を右折します。
交差点左手前には西町常夜灯と舞阪町舞坂宿大型道標が、左奥には「舞坂宿の渡船場、本雁木(ほんがんげ)跡」高札、右奥には灯台風の木製灯篭が有ります。

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