東海道バーチャルトリップ
1)史跡見付石垣:左右、道路両側
左手に史跡 見付石垣立札と、その左に2枚の道標が有ります。道標は、上が旧東海道↑、下が←舞坂中学校450m、総合福祉センター610m、図書館・郷土資料館660m、です。
立札には、史跡 見付石垣、この石垣は舞坂宿の東はずれに位置している。石垣の起源の詳細は明らかでないが、宝永六年(一七〇九年)の古地図には既に存在している。見付は見張所にあたり、
大名が通行の時などには、ここに六尺棒を持った番人が立ち、人馬の出入りを監視するとともに、治安の維持にあたった所である。舞阪町教育委員会、とあります。
2)新町常夜燈/舞坂一里塚:見付からすぐ、左手、徒歩1分、道路南側
此処の左右には以前舞坂一里塚が在って、現在は新町常夜燈、三角点?石柱、花壇、一里塚趾石碑、新町常夜燈説明板、一里塚跡説明板が有ります。
敷地左手前には、新町常夜燈が有ります。常夜燈には注連縄が飾られており、頭にはライトが後付けされ、台座には常夜燈の文字が彫られ、胴の正面には両皇太神宮、右側面には秋葉大権現、とあります。
常夜燈の右側には三角点石柱があり、頭は十字に彫られ、胴には静岡縣、とあります。その後ろには花壇、花壇の後ろには一里塚趾石碑が在ります。
敷地の右側には手前から新町常夜燈説明板と、一里塚跡説明板が有ります。以前はサビが浮いていましたが、綺麗に修復されていました。
新町常夜燈説明板には、舞坂には往還沿いに3基の常夜燈がある。舞阪宿では、文化6年(1809年)元日、宿場の大半を焼く尽くす大きな火事に見舞われたことから、これをきっかけに火防の秋葉信仰が広がり、
常夜燈を建て、秋葉講を組織して火の恵みに感謝するとともに、火の用心を誓い合った。常夜燈の竿石の四面には、両皇太神宮、秋葉大権現、津島牛頭(ごず)天王、建立年月が刻まれている。
新町の常夜燈は、文化12年(1815年)正月に建立されたもので、舞阪郷土史研究会・浜松市、とあります。
また一里塚跡説明板には、江戸幕府は、交通政策に重点を置き、諸国に通じる街道を整備し、慶長9年(1604年)、主要街道に一里塚を築くようお触れを出した。これにより、日本橋を起点として1里(約3.9km)ごとに、
道の両側に土を盛り、その上に榎や松を植えた一里塚が整備されていった。舞阪の一里塚は、日本橋から68里(約267km)に位置し、松が植えられていた、とあります。
3)文久二年東海道舞坂宿宿内軒別書絵図面石板と東海道舞坂宿一里塚石碑/舞坂一里塚:常夜燈の向い、右手、道路北側
敷地の入口手前には石製の車止めが二つ置かれており、その奥左側には黒い一里塚石碑が、右側には木製ベンチが、その奥には同石板が有ります。
同絵図面は旧道を中心とした舞坂宿の軒並み(1863年)を描いたもので、石板の左右には旧道が貫き、その上下には同軒並みが彫られています。かなりの力作です。
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