東海道バーチャルトリップ

112)多度(たど)神社:左入からすぐ、左手、徒歩328分、道路南側

旧道左手に同神社が在ります。
石柱門入口の右側石柱の左に多度神社社碑、参道を進むと左右に奉燈一対。その先は細い注連縄、榊が飾られた石鳥居で、房の数は珍しい7本です。鳥居を潜ると献燈一対、左手には【第六十二回神宮式年遷宮 奉献記念】説明板、
その先「天皇陛下御即位二十年、記念植樹、神宮杉」立札、「寄贈、神社敷地森太吉」石碑と金属枠で補強された「多度神社・・・」石碑、右手に手水、その先は拝殿です。拝殿前に狛犬一対、拝殿を過ぎると左手に慰霊石碑、
その右に黒い第四代森太吉翁顕彰碑、その右は出口です。右手手水から出口へは、植木と三基の石灯籠が建並びます。説明板の説明文には、国道一号線海蔵橋の東側に鎮座する旧東海道に面し佇む御社が地元の人々の崇敬篤い三ツ谷の多度神社です。
一、祭神 天津彦根命(あまつひこねのみこと)
二、多度神社の生い立ち(省略)
三、御由緒、三ツ谷は現在四日市市の一区画にして古くは、大字東阿倉川に属し、数戸の集団なり。区民は天明の頃(光格天皇の御世)より桑名郡多度町に鎮座する多度神社を崇敬心篤く、毎年日を定め暁に起き一番鶏の鳴くのを合図に区民内揃い羽津・
   大矢知・伊坂・三里剰りの山道を徒歩にて参詣するを例とす。多度大社(桑名)への講社大祭参列は現在も継承されております。当、神社の例大祭は五月五日で子供神輿も町内を練り盛大に斎行されており月次祭は毎月第三日曜と、氏子代表の奉賛会
   役員・敬神婦人会の方々の献身的なご奉仕に、地区住民の皆様の崇敬心の篤さを見る想いがいたします。平成二十五年十月吉日奉賛会、とあります。

113)三ツ谷一里塚跡/海蔵川緑地:神社を罷り旧道を行くと、左手、徒歩332分、道路東側

旧道を直進すると、海蔵川緑地に入ります。左手敷地内には大きな三ツ谷一里塚跡石碑(写真左側)が、石段を上ると左手に三ツ谷の一里塚跡説明板高札(写真中央)が在ります。石碑の裏側には建立のことばが記されており、一里塚は、江戸日本橋を起点に
街道筋に一里毎に里程を示す道標として、約四百年前頃に設置された。この東海道三ツ谷一里塚は、記録によると、この位置より数拾米南の川の中ほどにあったと思われる。今年が東海道宿場・伝馬制度制定四百周年に当たることから、この一里塚跡を顕彰
するためにこれを建てる。平成十三年三月、海蔵地区社会づくり推進委員会、とあります。

また説明板高札の左側には絵図/東海道分間之圖(部分)元禄三年<一六九〇>四日市市立博物館蔵、が描かれており、説明文には、
一里塚は、江戸時代の初め、幕府が東海道をはじめとする五街道を整備した際、江戸日本橋を起点として一里(約四キロメートル)ごとに街道の両側に土を盛り、榎や松を植えて旅人の目印にしたものである。東海道の三ツ谷には、かつて一里塚があった。
しかし、その場所は、昭和二十年代に海蔵川が拡幅された際、川の中に取り込まれてしまった。「東海道分間之圖」(元禄三年<一六九〇>)によれば、三ツ谷の一里塚は東海道が海蔵川に突き当たった辺りに記されている。そこで、東海道宿場・伝馬制度制定
四百周年を記念して、この場所を一里塚跡とし、石碑を建てて後世に伝えることにした、とあります。そして此処が、東海道99番目の一里塚なのです。

114)右折地点/突当堤防上:一里塚の先、右手、徒歩334分、道路西側

石段を上ると、海蔵川の堤防上に出ます。此処を右折します。堤防からは、対岸の旧道も窺えます。

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