東海道バーチャルトリップ
91)右曲り:左曲りの先、右手、道路西側
旧道は左に曲がった後は、右に曲がります。此処も枡形だったのでしょうか?(それとも橋?)
92)小橋/米洗川(よないがわ)と八幡(やわた)常夜燈:右曲りの先、徒歩273分
小橋の右手前に同常夜燈と、その右手前に八幡常夜灯立札が建っています。立札の説明文には、常夜灯は、街道や神社仏閣などに設置された石灯篭です。街道では街灯や道標の役割を果たしていました。街道の常夜灯は幕末の伊勢参宮(おかげ参り)
流行の際に設置されたものが多いことから、三重県内では各所に見ることができます。その多くは伊勢参り講や道中の宿屋連中などの寄進により建てられています。この八幡常夜灯は(風化が進み現在では細部の判読が難しくなっていますが)
刻印によると明治35年(1902)9月に建てられたものです。両側面に両大神宮と大書され、台座には世話人として羽津村住人百余名の名も刻まれています。設置年代からして、恐らく、それまでにあったものを建て替えたもの
と思われますが、以前のものに関する記録は残っていません。設置当時は、富田側の茂福から米洗川までの間は一軒の家もない芝原縄と呼ばれる松並木の寂しい道で追剥が出没したと伝えられています。一方で、東海道中が盛んな頃は、
この辺りまで四日市宿の飯盛り女や客引きが迎えに来ていたそうです。米洗川を越えて暫く行くと右手に八幡の地蔵堂がありますが、祖の地蔵堂は元々、この常夜灯の向かいに建っていました。米洗川から現在の地蔵堂がある辺りまでの間も
家はなく街道右手に八幡神社の鬱蒼とした森が広がっていました。そうした環境の中にあったこの常夜灯は街道を行き来する人々にとって大きな存在であったことでしょう。羽津地区まちづくり推進協議会、とあります。
93)立派な石碑/小橋の袂:常夜燈の向い、左手前、徒歩273分、道路東側
風化により刻字が読み辛く成っていますが、顕彰の由来、・・・昭和四十五年四月二十九日、社団法人北勢?自動車協会、とあります。同碑はダイハツの敷地内に建っており、橋の右手前には中部運輸局四日市自動車検査場も在ります。
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