東海道バーチャルトリップ
94)八幡(やわた)地蔵堂と真新しい東海道道標:小橋の先、右手、徒歩279分、道路北側
旧道右手に桑名宿側から順に、真譽法願上座石碑、地蔵堂、その左手前に八幡地蔵堂と旧八幡(はちまん)神社立札、真新しい東海道道標が在ります。法願上座とは尊称です。石碑の右側面には明治廿九年十一月廿六日没、左側面には
明治三十九年八月〇発起人(5名の名)、とあります。地蔵堂には地蔵尊の額が飾られ、赤味を帯びた道標の右側面には東海道四〇〇周年記念平成十三年建立、とあります。
立札の説明文には、この地蔵尊は、金場の地蔵尊と同じ一つの石から造られた兄弟地蔵で羽津村の北入口に置かれた結界地蔵である。江戸時代には、旅人が道中の安全や延命を祈願していくようになり、いつしか延命地蔵と呼ばれるようになった。
この地蔵は地蔵でありながら頭は螺髪、手は来迎印を結ぶ阿弥陀如来の姿をしており、仏のことをよく知らない石工が刻んだものと言われている。かつては、米洗川北岸の常夜灯の向かい辺りにあったが、昭和四年(1929年)に八幡神社址地である
現在地に移設された。地蔵堂の前にある石碑は、堂守の真譽師の徳を偲んで建てられたものである。この地にあった八幡神社は、江戸時代の旅行案内記に「一国一社にして村名も八幡と称し、皇国六十六拝の一つに数えられている古社である」と紹介され、
「東西十間、南北五十五間」の広い社地を有する著名な神社だったが、一村一社制により明治四十一年(1908年)に志〇(氏+一)神社(しでじんじゃ)に合祀され、旧社地には社名碑だけが残っている。八幡神社の遺品は、八幡鳥居様式の鳥居が
志〇神社東口に、石灯篭が東海道沿いの志〇神社一の鳥居脇に移設されて残されている。羽津郷土史と民俗研究会、四日市市羽津地区市民センター、とあります。
95)かわらずの松と東海道「かわらずの松」立札、道標:道標の先、左手、徒歩284分、道路南側
旧道の左手、桑名宿側から順に「かわらづの松」説明板、その下に<東海道>ここは四日市道標、同松、←東海道→道標が在ります。説明板の説明文には、古くからこの地域は「かわらづ(川原津)」と言われていた。現在の八田第二自治会と羽津第三
自治会の一部東海道沿いの地域である。昭和十三年に国道一号線が出来るまでは幹線道路として往来が激しく賑わった道路であった。戦前まではこの付近の東海道沿いに多くの松がうえられていて松並木の景観が見られたが、戦後経済の発展に
ともなう道路拡幅と松くい虫の被害等で姿を消し、現在四日市では日永地区と当羽津地区の二本だけとなった。江戸時代、この松は大名行列など街道を行き交う旅人をじっと眺めていたことだろう。樹齢二百年余のこの松を昔の地名をとって「かわらづの松」
と命名していつまでも愛護していきたい。平成十九年四月吉日、八田第二自治会、かわらづの松保存会、とあります。
また後者道標の表示は前回のそれとは少し異なっており、朝日、JR朝日駅←→近鉄富田駅、約3.6km、富田、富田小学校前道標、羽津の常夜灯、地蔵尊前道標、現在地、志〇神社鳥居前、東海道国道1号線分岐点、近鉄富田駅←→大矢知街道、
約3.6km、羽津、大矢知街道←→中央通り、約2.6km、四日市市、とあります。
96)横断歩道消失地点:松の先
此処には道路を横断する為の、横断歩道は有りません。左に迂回して、羽津町交差点/国道1号線の横断歩道を使用します。
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