東海道バーチャルトリップ

82)突当、左折地点/丁子路:常夜燈から少し歩き、左手、徒歩258分、道路南側

旧道は此処を左折します。左奥には證円寺が在ります。突当りには水道碑と立札、力石などが置かれています。

83)新設用水道碑と新設用水道碑の由来立札、力石の由来立札と力石二つ/同交差点:交差点の正面、同分、道路西側

右側から順に、新設用水道碑、新設用水道碑の由来立札、力石の由来立札、力石、力石立札、子供力石、子供力石立札です。水道碑の由来立札の説明文には、明治三十五年(一九〇二)頃より大字茂福地内の耕地整理事業が行われ、十四川の改修工事
に伴い茂福町へ流れる水路が無くなり、東茂福町の水田に水が入らなくなりました。そこで此の碑より北西に十四川の中間より(七町)七百六十米の暗渠による水路を通し各家々の敷地内に(マンボ)を設置して、明治三十七年(一九〇四)八月完成より、
大正・昭和中期まで、生活用水・防火用水として利用をしていました。しかし、東茂福の水田地帯に国道一号線の開通に伴い水田は埋め立てられ、その後昭和三十四年(一九五九)伊勢湾台風の水害により暗渠に土砂が流れ込み、また水源地の
十四川の環境悪化のため、此の用水道は消滅しました。富田地区文化財保存会、とあります。また力石の由来立札の説明文には、

明治の中頃、この村にある二ヵ寺の御堂を再建するにあたり各所より土台石の奉納があった。また、御堂の地築(地固め)に、近郷近在より奉仕の人々が集まった。その節、土台石の中よりこの石を選び休憩時に体力を試さんと持ち上げ競い合ったと伝えられて
いる。その後、茂福地区の青年若衆が大正の終わり頃までこの石で力比べをして競い合ったと言う。およそ三十二貫(約百二十キログラム)を肩越しまで担ぎ揚げた人は幾人もいなかったといわれる。茂福町においては、この由緒ある力石を健康長寿の石と
名付けてここに保存することにした。石に三十メと刻まれている。下にある小さな石は重さ五貫(約十九キログラム)で子供用であろうか。平成五年七月吉日建立、茂福地区自治会 茂福地区白寿会、富田地区文化財保存会、とあります。
前回の写真には小さな立札二つも写っており、力石、重さ三十二貫、百二十キログラム、子供力石、重さ十九キログラム、とありました。

84)右折地点/変形ト字路:左折の先、右手、徒歩260分、道路南側

旧道は此処を右折します。正面の道の道幅は狭くなっています。

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