東海道バーチャルトリップ

85)真新しい道標/交差点:右折後、交差点右奥、徒歩262分、道路北側

旧道右手に、背の低い真新しい道標が建っています。写真は四日市宿側から撮っています。道標正面に右いかるが、左側面に左四日市、とあります。

86)小橋:道標の先、徒歩264分

橋の右側手前の親柱には前川橋、左側手前の親柱にはまえかわばし、右側奥の親柱には昭和三年七月建設、とあります。この川は東に流れて、富田湾に注ぎます。旧道先に、高架道路も窺えます。

87)直進地点/茂福(もちぶく)神社参道、ト字路:小橋の先

旧道は此処を直進します。ト字路交差点の右奥に茂福神社社碑と、その左に茂福神社立札が建っています。社碑の正面には茂福神社、右側面には昭和廿八年九月、とあります。また立札の説明文には、
祭神建速須佐男命ほか八柱、応永二十八年(一四二一)摂津守政平が越前朝倉よりこの地に赴任すると、建速須佐男命と天照皇大神をお祀りした。祭祀を引き継いだ城主茂福掃部輔盈豊(かもんのすけみつとよ)は永禄十年(一五六七)伊勢長島城で
謀殺され茂福城も落城した。その後、盈豊の遺志は受け継がれ祭祀が続けられてきて茂福の産土神(うぶすながみ)となった。明治四十二年(一九〇九)鳥出神社へ合祀となり、従来からの祭りの日には御神霊を神輿で奉迎し、現在の茂福神社を御旅所
として祭りを行ってきた。昭和二十五年(一九五〇)鳥出神社から分社、正式に茂福神社として再祀、祭神を旧社に奉還して現在に至る。境内には、鳥居・石灯籠・狛犬・太鼓橋など、石造物が多く奉納されている。古くは寛文十二年(一六七二)を始めとして
明治・対象・昭和と時を追って奉納されていて、この地の人々の信仰の篤さをしのばせている。富田地区文化財保存会、とあります。

→次の頁