東海道バーチャルトリップ

67)八幡神社:一里塚の先、左手、徒歩234分、道路東側

旧道の左手に同神社が在ります。石柱門を潜ると、右手に八幡神社址石碑。左手には八幡神社立札と八幡神社の力石立札があり、その足元には力石が置かれています。立札後ろの松も見事です。神社立札の説明文には、
祭神応神天皇、「富田六号氏神紙記」に「八幡大菩薩は弘安二年(一二七九)二月十五日、富田地頭佐原豊前守政盛によって、東富田に勧請される」と記されている。これが、富田西町の八幡神社の起こりである。更に「氏神記」には「社地東西十六間二尺、
南北八間、面積百四十五坪、本村の元標より北の方、字茶屋町に鎮座す」とあり、かつてはこのあたりの地を八幡と呼んだと伝えられている。明治四十二年(一九〇九)島出神社に合祀され、社殿址に「八幡神社址」の石碑が建立された。
昭和四十年(一九六五)頃現在の社殿が再建され西町の産土神(うぶすながみ)として戻された。昔は、東海道五十三次富田立場の西端が八幡の森で、昼でも暗く鬱蒼と樹木が繁っていたと伝えられている。現在では当時をしのぶ面影はないが
社殿西に数百年を経た椋木の古木が名残をとどめている。また、境内には力石も残されている。富田地区文化財保存会、とあります。

68)力石/八幡神社:境内左側

境内左側に八幡神社の力石立札と同石が置かれています。説明文には、「力石」は、鎌倉の頃より、江戸、明治、大正と時代を越えて若者たちに愛され継承されてきた。「力石」は豊作の願いと村一番の力持ちの競い合いと仕事士の証としての踏ん張りの
精神力、そこに集まった人々の笑いを意味していて「生きる喜びの証」であったろうと思われる。「力石」の中には重軽石といって、願掛け、占いに使われたものもあるが、ここ八幡神社の「力石」は、力比べ体力を養うことを対象にしたものであり、
この石に触れることによって、健康長寿への信仰を深めたのであろう。しかし、この「力石」も労働の機械化、生活の変化に伴って次第に忘れられ、神社や広場の片隅に放置される存在となってしまった。昔日の人々のこの思いを引き継ぎ、
ここ八幡神社の神前に捧げ末永く保存することにしたものである。重量およそ百キログラム、「力石」は、ここ八幡神社のほか、北村若宮八幡神社、茂福にも存在する。富田地区文化財保存会、とあります。

69)右折地点/ト字路:神社の先、二つ目の交差点、右手、徒歩235分、道路西側

旧道は神社の先、二つ目の交差点を右折します。交差点右手前には、行啓記念道路立札と同石碑が在ります。

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