東海道バーチャルトリップ
52)手作りの<東海道>道標:道標の先、右手、道路西側
旧道の右手に、手作りの道標が紐で壁に結ばれています。道標の表面には、<東海道>、ここは四日市、とあります。ですから、四日市市民の自作なのでしょう。
53)松寺の立場跡:道標の先、左手、徒歩207分、道路東側
手前、桑名宿側から順に、松寺の立場跡立札、自作の←東海道→道標、石柱門が在ります。参道を入ると、左手には輝子頌徳記念碑立札、参道正面には大きな頌徳碑が在ります。立場跡立札の説明文には、
東海道松寺の立場跡は、現在の高橋酒造(株)店のすぐ南側辺りであったと思われる。街道を往来する旅人や人足などが、籠や荷物を降ろして杖を立て一休みした所をいう。公の休憩所のことで茶屋などがあり、立場茶屋と呼んでいた。当時、桑名宿と四日市宿
の間には、五ヶ所の立場があり、北は小向(おぶけ)の立場、南は富田の立場(富田小学校付近)があった。大矢知歴史研究会、とあります。また記念碑立札の説明文には、伊勢国三重郡大矢知村字松寺にて佐藤庄九郎の一女として生まれる。弘化三年
(一八四六年)四月四日生まれ。二五歳の時に夫が他界。五十年一日の如し輝子は教育・裁縫の教育をし門者千数百人に及ぶと言う(実際には三千人ほどの子弟がいたとも)。大正六年(一九一七年)十一月十三日病気にて享年七十二歳で世を去る。
翌年三月門人によって碑を建てる。大正七年三月文学博士前田慈雲東洋大学学長(桑名泉西福寺息子)、※輝子の父庄九郎は嘉永時代に庄屋を務めた。大矢知地区まちづくり構想推進委員会、大矢知歴史研究会、四日市市大矢知地区市民センター、とあります。
54)手作りの東海道道標その2:道標の先、右手、道路西側
自立タイプの東海道道標です。正面の表示には、東海道、京、伊勢、七里渡、とあります。水色の線は旧道でしょうか?、それとも川でしょうか? このアバウトさには脱帽です。(笑)
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