東海道バーチャルトリップ

31)直進地点/変形十字路:榎の先、徒歩171分

旧道は此処を直進します。交差点右奥には御厨小向神社社碑と、その後ろに青いみえ歴史街道東海道Tokaido道標が建っています。小向神社は、昔は御厨神明社と呼ばれていた様です。

32)御厨(みくりや)小向(おぶけ)神社社碑と←→みえ歴史街道東海道Tokaido道標/同交差点:交差点右奥、道路北側

同神社は伊勢朝日駅の西方、関西本線の向こうに在ります。左側の道路が旧道です。

33)<三重県指定史跡>橘守部(たちばなもりべ)誕生地遺跡説明板:社碑の先、左手、徒歩173分、道路南側

説明板の右側には説明文が、左には二枚の絵が描かれており、上が人物像で下が書籍の絵です。『稜威言別(いつことわき)』とあります。説明文には、橘守部(一七八一〜一八四九)は、江戸時代後期に活躍した国学者です。守部は、伊勢国朝明郡小向村
(現朝日町小向)の大庄屋格であった飯田長十郎元親の長男として生れ、十七歳で江戸へ下り学問を志しました。二十九歳の時、武蔵国葛飾郡内国府間村(現埼玉県幸手市)へ転居し、四十九歳で再び江戸へ戻り、地庵(ちあん)と号しています。
当時、国学者の多くが本居宣長の門人であった中で、ほとんど独学で国学を学び、独自の学説を展開した守部は異色の存在であり、平田篤胤、香川景樹、伴信友とともに天保の国学四大家に数えられています。『稜威道別』『稜威言別』など多数の著書があり、
嘉永二年(一八四九)六十九歳で没しました。お墓は、東京都台東区向島の長命寺にあります、とあります。稜威とは、天子の威光や畏敬すべきオーラ、神聖な力を意味するそうです。

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