東海道バーチャルトリップ
13)「左 大塚本陣跡 脇本陣「駿河屋」跡 右」モニュメント:左折の先、右手、徒歩12分
道路の右手に同モニュメントが建っています。頭頂には以下の文章が刻まれています。左 大塚本陣跡、大塚本陣は桑名宿で最大かつ最高の格式をもった本陣で裏庭から直接乗船できた。建物は変わっているが、明治時代から料理旅館「船津屋」として営業。
右 脇本陣「駿河屋」跡、脇本陣(本陣に準じる宿)は桑名宿に4軒あったが、そのうち最も格式の高いのが駿河屋であった。建物は変わっているが、現在は料理旅館「山月」の一部となっている。
金属製の表示面は太陽光の反射も強烈なので、表示面には向かない(写真撮影には向かない)と思います。(苦笑)
14)船津屋:モニュメントの先、右手
玄関右側には船津屋と記された行灯が建っており、入口には暖簾が掛り、その左側には料亭、船津屋、とあります。
15)歌行燈句碑(うたあんどんくひ)説明板と同碑/船津屋:玄関の先
玄関の先の壁に歌行灯句碑説明板が貼られており、その先には同碑が建っています。説明文には、明治の文豪・泉鏡花(1873〜1939)は大泉原村(現・いなべ市員弁町)の高等小学校で講演するため明治四十二年(1909)十一月に
来桑、この船津屋(東海道桑名宿・大塚本陣跡地)に宿泊した。この時の印象を基にして、小説「歌行燈」を書き、翌年一月号の『新小説』に発表した。昭和十四年(1939)、東宝映画から依頼をうけた劇作家・久保田万太郎(1889〜1963)
は船津屋に泊り、三ヶ月ほどで戯曲「歌行燈」を書き上げた。昭和十五年七月に、まず新生新派により明治座で上演され、映画化にあたり、万太郎は手直しのため再度船津屋を訪れている。船津屋は当初から格式高い料理旅館だったが、
小節では湊屋と書かれ、裏河岸から「かわうそ」が這い上がってきて悪戯をするという噂話が登場する。俳人としても著名だった万太郎が、船津屋主人の求めに応じてその情景を詠んだのがこの句である。自筆のこの句碑は揖斐川上流の
自然石を杉本健吉画伯がデザインしたもので昭和三十一年六月に建てられた。平成十八年六月 寄贈 桑名三田会、とあります。
句碑には、「かはをそに 火をぬすまれて あけやすき 万」と彫られています。そう言えば(マンガ)陰陽師にも、かわうそは登場していました。
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