東海道バーチャルトリップ
28)歴史を語る公園:立札の先、左手、道路東側
此処は同公園の休憩スペースとなっており、手前から順に灯籠、3つの石から成る石庭、四角いベンチ、細長いベンチ、東屋、歴史を語る公園高札が在ります。高札の説明文には、桑名は、東海道四十二番目の宿駅であり、桑名藩の城下町であり、
また、木曽三川の河川交通、伊勢湾の海上交通を担う港町でもあった。その上、桑名は、熱田宮宿に次いで東海道中第二位の宿数を誇り、一の鳥居を擁する伊勢路の玄関口として、賑わいをみせていた。このような史実に着目し、江戸の日本橋から
京都の三条大橋に至る東海道五十三次をモチーフにして造られたのがこの公園である。署名が有りませんから、あるいは此処は私有地なのでしょうか?(笑)
29)東海道五十三次桑名宿高札/歴史を語る公園:高札の先、左手、道路東側
高札の左手前に石柱があり、正面は桑名、右側面は→四日市と彫られています。また、右奥には石灯籠が有ります。高札の左側には周辺図が、右側には説明文が記されています。表示内容は前回と同じですが、色が若干褪せていました。
周辺図の方は、前回の時点でも既に読みずらかった。説明文には、江戸時代の東海道は、慶長六年(一六〇一)正月に定められ、桑名宿も設けられた。江戸から約九六里(約三八四km)、京都から約三十里(約一二〇km)であった。宮宿(熱田)から
海上七里(約二八km)、四日市宿までは陸上三里八町(約一三km)。七里の渡し場から川口町、江戸町、片町、京町、吉津屋町、鍛冶町、新町、伝馬町、鍋屋町、矢田町、福江町までが桑名宿であり、さらに大橋、安永を通り、町屋橋を渡って、東海道
が続いていた。天保一四年(一八四三)調べでは、宿内人口は八、八四八人であり、本陣二軒、脇本陣四軒、旅籠屋一二〇軒があった。郷土の宝 文化財を大切に 桑名市、とあります。
30)右折地点/変形十字路:高札の先、右手、徒歩35分、道路西側
交差点左手前には←↓東海道道標が有ります。交差点では肌色の塗装以外にも、大きな石タイルによる装飾が驕られています。また右折地点の右奥(東側)には、南大手橋が架かっています。旧道は此処を右折します。
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