東海道バーチャルトリップ
73)衣笠内大臣歌碑:旧道は左にカーブし、左手、徒歩148分
ガイドは茶畑の農薬散布にもめげず歩きます。
この衣笠家良も鎌倉時代の歌人です。右側の説明板には「旅ごろも 夕霜さむきささの葉の さやの中山あらし吹くなり」、とあります。
74)小社:歌碑の先、左手、徒歩152分
小さなお社が石垣の上に置かれています。
75)真言宗佐夜中山久延寺(きゅうえんじ):小社の先、右手、徒歩153分、道路西側
此処も旧跡、大寺です。山門手前に石灯籠一対、右手に掛川市指定文化財九延寺境内説明板高札、左手に子生長正観音菩薩久延寺寺碑。また山門内左側には、久延寺立札。
高札の説明文には、久延寺は真言宗の寺院で山号は小夜中山、本尊は聖観音、夜泣き石の伝説に因み子育て観音と称される、掛川城主山内一豊は境内に茶亭を設けて徳川家康をもてなした、とあります。
また右上の絵は天明六年(一七八八)に描いたもので、久延寺とその西に並ぶ飴屋などが描かれています。
此処には夜泣石の伝説と、五葉松/家康お手植えの松が有ります。ですが、松は二代目の様です。境内には「伝説 小夜の中山夜泣石」説明板高札も有ります。これによると、
懐妊していたお石が丸石の元で殺され、傷口から子が生まれた。お石の魂魄が丸石に乗移り、夜毎に泣いた。生まれた子、音八は久延寺の和尚に飴で育てられ、後に仇を討った。
本物の夜泣石は後述する様に沓掛坂坂上に有った邪魔な石で、明治天皇東行の際横に払われました。その石は現在では、国道一号線小夜の中山トンネルの東京側に置かれています。
また山内一豊(恐妻家)が家康をもてなした茶室と、芭蕉句碑も有ります。馬に寝て 残夢月遠し 茶の煙
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