東海道バーチャルトリップ
(46.5)亀山宿−関宿
1)旧佐野家住宅:橋の先、左手、道路南側
旧道左手、一段低い場所に同住宅が在ります。前回来た時は気付きませんでした。同住宅へは、旧道左手に在る階段を利用します。京口橋架橋の為に、道路を一段高くしたのでしょう。
建屋の手前右側には同説明板が置かれており、左上から順に、旧佐野家住宅敷地全体平面図、「京口橋」大正3年(1914)橋の向こう側に妻入りの建物が見える(写真)、正面外観、建築当初、修理工事前、とあります。説明文には、
平成二六年度保存修理工事調査・設計、平成二七年度保存修理工事(主屋の修理、便益施設の設置等)、平成二九年度外構整備工事(板塀の設置等)、旧佐野家住宅は、旧東海道沿いの野村東端南側にある。この場所は、竜川をはさんで京口門と
対面する位置で、城下から西に向かう際には野村の入口にあたる。佐野家は、当地区の大地主で商家であった。間取りは、正面中央に玄関をとり、その西側に座敷四室を並べ、東側にシモミセを設けている。土間は、建物奥で広くなっているが、玄関から
裏口まで続いており、「通り土間一列型」という町家に多い間取りである。また、正面間口いっぱいに二階が設けられていることも特徴の一つである。正面外観は、「入母屋造妻入形式」で、「切妻造平入形式」を基本とする旧東海道沿いの野村の家並みの中では
特殊な存在といえる。この建物は、その意匠的特徴から明治前期の建築と考えられるが、文化三年(一八〇六)の「東海道分間延絵図」を見ると、旧佐野家がある角地にはすでに妻入りの建造物が描かれており、妻入形式を引き継いできた可能性もある。
前面意匠は、建築当初は一階の開口部がすり上げ戸で、後に格子戸が取り付けられ、二階は壁の中央に貫を見せ、開口部は出格子になっている。こうした前面意匠の特色は、亀山城下・亀山宿の町屋と共通している。一方、敷地間口に余裕があり、隣家に面する
壁面や軒裏を漆喰で塗り籠めること等は、野村に建つ主屋に共通する特色である。こうしたことから、保存修理工事では、建築当初の姿に復するのではなく、これまでの改造の履歴を保存するため、修理前の状況を踏襲した。令和四年三月亀山市、とあります。
シモミセとは、一般の顧客向けに小売りを行うための店舗部分だそうです。
2)登録有形文化財森家住宅と東海道道標:住宅の先、左手、徒歩92分、道路南側
同住宅の右側手前に東海道道標が建っています。同住宅には登録有形文化財金属板と、森家住宅立札が貼られています。
同板には、登録有形文化財、第24−0108号、この建造物は貴重な国民的財産です、文化庁、とあります。また立札の説明文には、
国の有形文化財(平成二十三年)主屋一棟、亀山宿関宿間野村集落に所在。旧東海道。歴史的な町並みを伝え、貴重な建物である。切妻造桟瓦葺で西面に切妻棟を付設、周囲に下座をまわす。左手に土間、右手に居間を配し、さらに奥に屋敷を設ける。
妻を漆喰で塗り込め、正面は上屋を黒漆喰真壁、下屋に格子を設けるなど、町家的な表構えを見せる、とあります。立札の下には新し目の、石製の東海道道標が建っています。
3)浄土宗亀鶴山無量院慈恩寺:住宅の先、左手、徒歩96分、道路南側
参道右手に国宝阿〇(弥の旧字)陀如来石碑があり、簡素な山門左手前に同寺碑、右手前に木造阿弥陀如来立像説明板が建っています。説明板の説明文には、
木造阿弥陀如来立像、昭和十二年八月二十五日国指定、慈恩寺本尊の阿弥陀如来立像は、亀山市はもとより三重県を代表する優品である。現在は浄土宗寺院の本尊として信仰されているが、薬師如来の可能性も指摘されている。
伝来については、近在の忍山神社の神宮寺であった神福寺の本尊と伝えられるが、不明な点が多く詳しいことはわからない。像高一六一・九cm、蓮華上座に両足をそろえ、胸をそらすように立ち偏袒右肩の如来形で、肉髻球、白毫相を
あらわす。右手は屈臂して第一・二指を相捻じる。頭体のほとんどをヒノキの一材から彫成し、内刳は施さない。両肩や衣文等、部分的に木屎漆を用いて厚手に塑形し、漆箔仕上げとする。当初は、本体と蓮肉部を共木で造っていたものと
思われるが、現在は両足首下が後補。また、左手先、右手臂より先、台座、光背も後世のものに替わっている。螺髪は植付けで当初のものである。制作年代は平安初期の重厚で緊張感のあふれる作風を示し、九世紀初頭に遡るものと思われる。
平成十四年、亀山市教育委員会、とあります。
この阿弥陀如来像は曰く付きで、元は忍山(おしやま)神宮寺の御本尊だったのです。つまりは、薬師如来を阿弥陀如来に改作しています。
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