東海道バーチャルトリップ

58)京口門跡説明板:赤色路側帯の先、右手、徒歩87分、道路北側

旧道右手に同説明板が建っています。説明板には説明文と、3枚の写真が貼られています。
写真は上から順に、京口門古写真(明治初年頃)、京口橋(大正3年)橋の下や左奥に旧東海道がみられる、歌川広重東海道五拾三次内亀山『雪晴』(保永堂版)です。
木製の同橋は現在の橋と同様に高い位置に架けられており、その下を昔の東海道は通過しています。また、京口門に入る道筋も、異なっています。説明文には、

亀山宿の西端、西町と野村の境を流れる竜川左岸の崖上に築かれた門である。「九々五集」によれば、亀山藩主板倉重常によって寛文一二年(一六七二)に完成したとされる。翌延宝元年(一六七三)に東町に築かれた江戸口門とともに
亀山城総構の城門として位置付けられ、両門の建設によって東海道が貫通する城下の東西が画された。京口門は石垣に冠木門・棟門・白壁の番所を構え、通行人の監視にあたっていた。また、門へ通じる坂道は左右に屈曲し、道の両脇には
カラタチが植えられ不意の進入を防いだとされる。大正三年(一九一四)、京口橋が架けられたことで坂道を登る道筋は途絶えてしまったが、往時は坂の下から見上げると門・番所がそびえる姿が壮麗であったことから、
亀山に過ぎたるものの二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門、と謡われるほどであった。歌川広重「東海道五拾三次」のうち『雪晴』をはじめとする風景画の舞台として著名である。平成二十八年三月、亀山市、とあります。

現在は木々が生い茂っている為、此処から京口御門の姿は拝めません。

59)京口坂橋(きょうぐちざかはし)/竜川(たつかわ):説明板の先、徒歩88分

竜川はこの後南に流れて、鈴鹿川と合流します。

60)北側の眺め/同橋:橋の右手、同分、道路北側

竜川の東岸(写真右側)にはかつては旧東海道が通過しており、京口門に通じていました。

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