東海道バーチャルトリップ

55)亀山城西之丸と外堀説明板:交差点右奥、同分、道路北奥

説明板の後ろには、再現された外堀が写っています。この説明板には説明文と、当時の地図が描かれています。外堀は城の周囲をぐるりと囲んでいます。説明文には、
亀山城は、それまであった戦国期の亀山城の城郭を母体として、岡本宗憲により天正18年(1590)に築かれました。築城時には、本丸・二之丸・三之丸からなり、天守もあげられていたとされます。寛永13年(1636)本多俊次が城主となると
亀山城の大改修に着手し、西出丸や東三之丸、西之丸が整備され、この形状が明治時代まで続きました。西之丸は、亀山城の西南部分にあたり、家中屋敷と表記されることもあり、作業場や重心の屋敷地のほか文政6年(1823)には藩校「明倫舎」も
おかれました。この復元した西之丸外堀は、城の外周を取り込む亀山城外堀の一部で、特に東海道と外堀が並行して接する場所にあたり、防御上、また城の景観上重要な場所でありました。町屋側には番所、復元地南の西之丸側には西之丸西櫓
がありました。この地点は、発掘調査の結果、町屋側から見て、深さが1.8m程度の水堀で、水深は60cm程度でした。この深さでは、城の防御に適さないと思われますが、堀の斜面は急こう配で城内側には土居(防御のための土手)があって、
堀底から3m以上の高低差があり、さらに土居上には土塀が設けられていましたので、十分な防御機能を有していたものと思われます。なお、工事にあたり、遺構面を保護するために全体に1mかさ上げをし、水堀を表現するために水面の高さで復元
しました。亀山城及び城下には、城郭として旧亀山城多門櫓(県史跡)及び二之丸帯曲輪、池の側・亀山公園池・西之丸外堀等の堀、武家屋敷として亀山城主石川家家老加藤家屋敷跡(市史跡)、旧東海道沿いの町家として旧舘家住宅(市有形)
等の文化財があり、亀山城及び城下全体が歴史的な趣をよく残しています。このことから、市では、平成20年12月に「亀山市歴史的風致維持向上計画」を策定(平成21年1月歴史まちづくり法により認定)して、その一体的な保存整備に取り組んで
います、とあります。

56)旧道の風景:外堀の先、徒歩85分

外堀の見学を終えて旧道を左折すると、道は下り坂に成ります。

57)赤色の路側帯:左折から少し歩くと、徒歩86分

路側帯が赤に染まります。車道はそのままの黄色です。北(城跡)には亀山中学校が有ります。黄色い車道は観光案内用でしょうが、路側帯のそれは地元の要望なのでしょう。(苦笑)

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